令和6年5月20日(月)
①からの続きです🙇♂️
10:54
三留野本陣の枝垂梅から続きます
明治天皇御膳水の井戸
昭和54年に復元されたそうです
旧い物を壊すのではなく、この様な復元は有難いと思いますd(^_^o)
常夜燈の間の道は、等覚寺への参道かな?
道は上っていますが、行ってみました👍
寺号標 曹洞宗 日星山等覚寺
山門
仁王門は桟瓦葺の入母屋造りで、三間一戸の楼門です
17世紀中期に建立されましたが、昭和34年の伊勢湾台風で倒壊した為に部材を再利用して再建されました
円空仏と山門の説明板
江戸時代初期の僧侶円空は、生涯に12万体の造像を祈願したと伝えられています
等覚寺には、南木曽町にある円空仏のうち「韋駄天像」「弁財天十五童子像」「天神像」が保管されています
境内
本堂
銅板葺入母屋造り
路傍の花
癒されました
民家と蔵の間に中山道はありますが、民家の中みたいだったので横道から中山道へ戻りました
この辺りから海外からのお客様とすれ違う事が多くなりました
桃介橋と貯木場が見えて来ました
桃介橋は、福沢諭吉の婿養子となった福沢桃介が水力発電(読書ダム)開発の為に架けた吊橋で大正11年9月に完成した全長247mの日本でも最大級の木橋です
平成6年に国重要文化財に指定されました
行きたい気持ちは山々でしたが、これから馬籠峠を目指すつもりだったので我慢しました
南木曽駅を過ぎて標高も上がっています👟
園原先生碑
園原旧富は三留野村和合の東山神社の神官の子で、京で神学を学び多くの門人を擁した方だそうです
園原先生碑と園原家住宅の説明板
南木曽駅方向を振り返り📸
木曽川に沿っていた木曽路は、この辺りから島崎藤村「夜明け前」の『木曽路はすべて山の中である』と著された道へと入って行きます
11:44
三留野宿から離れて来ました
此処でトレッキングポールを取り出して、上り道への支度をします
最低でも馬籠宿、ヤル気スイッチが入れば中津川宿迄も行ける。と、漠然と考えていました
(勘違い野郎ですσ(^_^;))
水車に釣られて庭を📸
池には鯉がいます
この時には食用とか考えていなくて、真鯉だと色彩的に寂しい絵柄になると思っていました💦
巴御前の袖振りの松 説明板
切株は解ったのですが、富山県からの実生苗木が植えられた形跡は解りませんでした😣
鬼瓦が有りましたが、由緒は解りませんでした
11:55
神明神社 拝殿と境内
かぶと観音
木曾義仲が治承四年(1180)に挙兵して、北陸道を京に向かう際に木曽谷の南の押さえとして妻籠城を築き、その鬼門あたる神戸に祠を建てました
義仲の兜の八幡座の観音像を祀ったのがおこりと云われています
かぶと観音 説明板
中山道 道標
文字が読み取れません
源臣光照院塚大明神
謂れは解りません(><)
木立の中、石畳道が現れました
数時間前は晴れていたのに、雲が増えて来ました
当初は雨予報だったので大丈夫です👌
12:10
上久保一里塚が見えて来ましたヽ(´▽`)/
江戸日本橋より八十里目ですね
久々に両塚が残る一里塚を見て、テンションが上がります
振返り両塚を📸
何故か説明板には、78里目になっていますが💦
良寛歌碑
良寛碑 説明板
木曽路にて
「この暮の もの悲しきに わかくさの 妻呼びたくて 小牡鹿鳴くも」
この歌は手まり上人と言われた良寛が木曽路を通った折に詠まれた二首の内の一首です
くぼほら茶屋跡
勝野家が営んでいました
中山道 蛇石道標
右 つまご宿
左 志ん道
下り道旧道
蛇石 説明板
中世の中山道は、ここから沢沿いに上っていた様ですが、元禄十六年(1703)に道の付け替え工事が行われて、妻籠城総堀を通る現在の道になったそうです
右手に見えているのが蛇石です
当たり前ですが、中山道です♪
良い雰囲気で足取りも軽く感じます👟
しろやま茶屋跡
街道風景に良い感じで映えていると思いました
12:28
妻籠宿まで1km👍
しかも下りみたいです
右に上っている道は、妻籠城址へ向かう道です
妻籠城址 説明板
妻籠城跡300mですか…寄り道になりますが、妻籠宿まで1km👍
此処には当初から行く予定だったので向かいます👟
③に続きます💨