令和6年5月18日(土)☀️
今日は午後から曇予報ですが、雨の心配はなさそうです
11:47
前振りが長くなりましたが、中山道 宮ノ越宿 義仲館から再開します
入館しませんでしたが、義仲と巴御前がツーショットで迎えてくれました♪
義仲に関しては人により様々な評価が為されていると思います
私見ですが、戦に強く義に厚い、なれど一本気過ぎて世の中の人の心の動きを掴めなかった人だったのかな?
仕事は出来るが、出世は望めないタイプだった様に思います。
でも、そんな一途な姿に男女問わずに引きつける魅力があったのでしょうね
臨済宗 妙心派 徳音寺山門が見えて来ました
徳音寺 鐘楼門
木曾八景の一つに「徳音寺の晩鐘」が上げられています👍
享保八年(1723)建立
徳音寺山門 説明板
本堂の前に巴御前の騎馬像があります
凛々しい姿が伺えます
木曾義仲公 霊廟
義仲像を中心に一族郎党の御位牌が安置されています
木曾義仲公霊廟 説明板
11:58
木曽川を渡り街道に戻り、木曽川と共に中山道を京に向かい歩みます
宮ノ越宿 本陣門
本陣 説明板
木曽十一宿中で唯一現存する本陣の建物だそうですが、明治十六年(1883)の大火で主屋は焼失されました
平成28年に再建され一般公開されています
本陣
村上弥惣右衛門が代々勤め、明治天皇御小休之跡碑があります
明治十三年(1880)明治天皇の巡幸の際に茶を供しました
私は中はスルーさせて頂きました
先日歩き終えた水戸街道で現存する本陣を見せて頂いたので、今回は見なくてもいいかなと思いました
でも、どの様な形でも再建されるのは喜ばしいことですねd(^_^o)
再建以前の石碑でしょうか?
本陣跡と刻まれています
脇本陣跡
面影はありません(><)
都築家が勤め、問屋と名主を兼ねたそうです
格子窓と格子戸に街道の風情が感じられます
因みに脇本陣と同じ都築姓でした
他にも本陣と同じ村上姓の家も宿場内で見受けられました
旧旅籠田中屋
明治の大火後の再建です
田中邸 説明板
宮ノ越宿を通る中山道📸
明治天皇宮ノ越御膳水碑
御膳水井戸 説明板
石仏石塔群と小社
四国三十三所観世音菩薩 元禄五年(1692)建立
南無阿弥陀名号碑 元禄十年(1697)建立
廿三夜塔、道祖神等があります
海鼠壁の蔵
ブロ友さんが歩かれた時は海鼠壁は崩れていなかった様ですが…
12:24
宮ノ越一里塚跡
江戸日本橋より六十八里目
12:35
第五中山道踏切で中央本線を渡ります
田植えが始まっていました
原野間の宿
宮ノ越宿と次の福島宿間は2里以上あるので、原野間の宿があります
石塔石仏群
庚申塔等が集められています
石塔石仏群
先程の石塔石仏群から無佐澤橋を渡り直ぐの場所にあります
中央アルプスが見えて来ました
右から赤林山(雪を被っていません)、麦草岳、木曽駒ヶ岳だと思います
私は山が解らないのでブロ友さんのブログで学びました👍
そろそろアレの場所ですね
13:03
中山道中間点 説明板
私の街道を歩きの切っ掛けとなったのは中山道です
漠然と歩き始めた時には、碓氷峠まで歩くのも夢の様な話でした💦
(同じ埼玉県内でも、深谷とか熊谷って遠いよね。高崎なんて群馬県じゃないか…碓氷峠?はぁ?越えたら長野県…歩いた人達って、可笑しい人だな。私は普通の人だから無理無理⬅️本音でした)
一緒に京都まで歩きたいと思っていたツレは、碓氷峠で腰を痛めて、それが完治しない為に付き合ってくれません
(大きな声では言えないですが、独りは独りで気儘で良いのです)
そんな私が此処に立っている
大変感慨深いものがあります
これもブロ友さんを真似て📸
ブロ友さんや先達の方々から、沢山の事を学ばせて頂き感謝しております🙇♂️
水神も近くに祀られています
では③の福島宿へ💨