令和6年2月26日(月) 水戸街道を歩き終えました照れ

偕楽園へ梅を観る為に移動しました。が、時間は当初の予定よりもかなり押しています💦

13:58

江戸へ三十里の道標がありました

ハミングロード513  商店街案内図

銅板建築の家

井幸茶舗

創業は江戸時代ですが、空襲で焼失の為に現在の建物は戦後の建築です

商店街の通りに陸前浜街道起点がありました。

昭和を偲ばせる空の広さに、昔の想い出が甦りましたd( ̄  ̄)

ブロ友さんもランチに立ち寄った店で、私も自分への御褒美でランチと考えていましたが準備中の札が掛けられていました。

月曜日なので定休日だったのかも知れませんが…ガーン

14:20

近くにあったラーメン屋さんで、遅くなった昼食を頂きました。

美味かったです👍

桜川を石垣橋で渡らないで左折して、川沿いに歩きました👟

柳堤橋より桜川を📸

水戸駅が近くなりました。

常磐線も越えて水戸城下へと👟

水戸天狗納豆創業地

明治二十二年(1889)笹沼清左衛門が創業しました。

商品名は、天狗の様に立派な商品になって欲しい願いと、水戸の地に由緒深い天狗党の名に因みに「天狗納豆」の商標で売り出したそうです。

街道を歩き始めてから、水戸天狗党の名前が私の中で大きくなっています👍

15:02

上柵町の踏切を渡りました。

水戸学の道 周辺案内図

時間を考えると偕楽園梅の観賞は無理そうなので、ザックリと城跡を駈歩で廻って帰る事にしましたが、城跡の半分も行けそうにありませんえーん

柵町門▶︎薬医門▶︎杉山門二の丸角櫓▶︎大手門▶︎弘道館▶︎冠木門▶︎銀杏坂▶︎水戸駅

こんな感じですショボーン


水戸城は、明治元年の最後の藩内抗争になった弘道館戦争、明治五年(1872)二の丸御殿の火災、昭和二十年(1945)水戸大空襲と度重なる災難により、ほとんどの建物は焼失しました。

柵町坂下門

柵町坂下町 案内板

徳川 頼房公像

徳川家康の十一男で水戸徳川家初代藩主ですね👍

本城橋を渡り薬医門へ向かいます👟

下は堀の深さがよく解る空堀になっていますが、写真を撮り忘れていましたショボーン

水戸城 説明板

薬医門

県立水戸第一高校の敷地内にあり、水戸城唯一の現存建造物で本丸の橋詰御門だと云われています。

昭和20年の大空襲により、市街地の約8割は焼失しましたが、この門は郊外の祇園寺へ移設されていたので焼失を免れました。

佐竹氏が水戸城を整備した16世紀末に建てられたと推察されています。


流石に御三家の城門で、その大きさと風格に驚きました∑(゚Д゚)

昭和56年に此方に移築された際に、茅葺屋根から銅板葺屋根としたそうです。

旧水戸城薬医門 説明板

杉山門

杉山門 説明板

杉山坂 説明板

県立水戸第三高校

空堀を挟んで、二の丸御殿跡地にあります。

二の丸御殿跡 説明板

水戸城跡の大シイ 二株

水戸城跡の大シイ 説明板

佐竹氏の時代から水戸城の変革を見守っていたと思うと凄いの一語ですねウインク

15:19

水戸城二の丸角櫓 説明板

二の丸角櫓は、安永五年(1776)焼失後に再建された当時の姿で令和5年に復元されました。

県立水戸第三高校と茨城大学付属小の間に歩行者通路が設けられています。

水戸城三階櫓の説明板もありました。


帰りの時間が気になりますが、折角なので行く事にしました💨

水戸城三階櫓古写真

かって水戸城二の丸に建てられて、天守閣の役割を担っていたのが【御三階櫓】です。

当初は、【三階物見】と呼ばれた銅板葺の三重櫓でした。

明和元年(1764)に焼失する以前は、茅葺で質素だったそうです。

明和三年(1766)に再建され実質上の天守となりました。

1階2階部分は海鼠壁で、3階4階5階部分は白壁で外見は三層ですが、内部は5階で櫓台はなく地面に敷かれた礎石の上に建っています。

維新後も残っていましたが、昭和20年8月2日の水戸大空襲で焼失しました。

太平洋戦争の戦災で焼失した天守相当の建築物で再建されていないのは、水戸城だけだそうです。

現在では、県立水戸第三高校の敷地内なので如何なものでしょうか?

水戸城三階櫓跡 説明板

二の丸角櫓礎石

角櫓の礎石 説明板

角櫓の鬼瓦

二の丸角櫓

15:32

水戸城跡二の丸展示館

立寄りたかったのですが…今日は水戸城全体を廻れないので、再訪を願いつつ帰宅を優先しました💨

旧水戸彰考館跡

旧水戸彰考館跡 説明板

彰考館跡 説明板

水戸市立第二中学校

見事な門ですね∑(゚Д゚)

彰考館跡地は、中学校になっています。

茨城師範学校跡 説明板

茨城大附属小学校 幼稚園

此方の門には、茨城大学教育学部附属 小学校•幼稚園と掲げられています。(師範学校跡地)

御製碑 説明板

御製碑

たのもしく よはあけそめぬ 水戸の町

うつつちのおとも たかくきこえて

昭和天皇が終戦直後の昭和21年11月18/19日水戸に行幸された時に詠まれました

昭和十年十二月竣工の橋を渡り水戸城大手門に別れを告げました👋


【復元 水戸城大手門】

明治期に解体されるまでの間、城の正門としてその威容を誇っていました。

かっての大手門は、何度かの建て替えを経ているものの、元は水戸城主だった佐竹氏が慶長六年(1601)頃に建てられた物だと考えられます。

現在の門は、令和2年2月に天保年間の姿で復元が完了した物で、高さ約13mで幅約17mと巨大な櫓門です。

徳川斉昭公像と大手門

大手門の正面に現れたのは、水戸城三の丸弘道館と番所です。

徳川慶喜の名前が何故あるのか、私には解りませんが…父親である徳川斉昭が弘道館を創設したからでしょうか?

通用門

弘道館も開館時間内で入館出来るのですが、今回はスルーしますショボーン

弘道館 説明板

正門(国指定重要文化財)

本瓦葺きの四脚門で、藩主の来館や特別な行事の際にのみ開門しました。

学生や諸役人は右側の通用門から出入りしていました。

四脚の冠木門

水戸市立三の丸小学校

15:43

水戸市立三の丸小学校

此方にも四脚の冠木門が∑(゚Д゚)

水戸市内の学校って凄え〜‼️

早くから歴史を学ぶ環境が整っている様に感じました爆笑


それよりも、予定した電車に間に合うのか?俺‼️

券売機で15:50に購入出来ました💦

何とか予定通りに、梅の花の咲く頃に水戸街道を踏破する事が出来ました。

しかしながら、目的地である偕楽園で梅を見る事は叶いませんでした。

また、水戸城跡もバタバタと駈歩の為に納得出来ないまま終えた感じでしたガーン


いつの日か、改めて水戸城跡を散策したいと強く思いましたプンプン


毎度思う事ですが「無計画の計画が好きでも、旅の終わりのラストくらいは計画に沿ったフィナーレを…迎えたいものです。」と強く反省していますショボーン