令和6年1月29日(月) 

3回目の記録です。

②で焼き芋🍠を食べながら長閑な風景を楽しんだ所から、続きます。

小幡宿に入るまでに、小岩戸集落と西郷地の集落があります。

12:46

巴橋で巴川を渡ります👟

此処から小岩戸集落です。

巴川は小さな川でした。

リュックを背負い、芋を片手に変な爺が通ります😤

文字が読めませんが、馬頭観世音かな?

建立は文政五年(1822)です。

小岩戸集落にあった石仏石碑。

甲州街道で良く見掛けて、個人的にお気に入りの双体道祖神も見掛けましたd(^_^o)

石碑石仏

左より、馬力神、子安観音、馬頭観音、如意輪観音、右端の石碑には、胎安大明神と子安大明神と刻まれています。

二十三夜塔 寛政年間造立

上部に彫られているのは、満月と三日月でしょうか?


しかし、史跡な前に…PTA良いのか(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

道祖神

二十三夜塔の左手にあります。

右 かさま 左 あた古  と刻まれています

西郷地の集落と水戸街道

13:17

石船神社

鳥居の手前に社号標が二つ建っています。

右は、村社 石船神社

左は、日本三社稲荷大明神

朱塗りの社殿です。

此方が石船神社だと思いましたが…日本三社稲荷の社殿でしたガーン

徳川光圀公が「刺賀飛護念社」「先後稲荷明神」「十日稲荷」を合祀したそうです。

母子像と石碑

13:29

此方は馬頭観音と母子像がニ体並んでいます。

石岡より水戸に向けて母子像を見掛ける機会が増えました。

昔は出産、子育てと大変だったので、子安信仰が広まっていたのだと思いました。

勿論、現代も子育ては大変だと思いますが…

天気にも恵まれ長閑な風景を愛でる。 

ありがたいことです照れ

此方にも子安観音が祀られていました。

愛宕神社

小幡宿に入ったと思いますd( ̄  ̄)

13:52

円法寺

昭和24年に本堂、庫裏、鐘楼を焼失。

小幡宿には本陣は無く、円法寺が水戸藩の定宿となっていました。


※今日の目的地への到着が怪しくなって来ました笑い泣き

ペースアップ⤴️して、国道に早く向かい時間を確認しなければ⌛️

小幡宿と水戸街道

元の屋敷は更地になった様で、ポツンと海鼠壁の蔵が取り残されています。

小幡宿

宿場の外れの三叉路に、小幡城跡の案内と石仏石碑があります。

左より、聖徳大神、二十三夜塔が二基、子安観音が祀られています。

14:07

寛政川を界田橋で渡ります👟

青龍大権現

遥拝して駆け去ります🙇‍♂️

最後に上り坂ショボーン

しかし、その先には国道6号線が待っています💨

千貫桜碑と千貫桜歌碑

明治31年建立

12代当主 徳川篤敬揮毫 

藤田東湖の継嗣 健氏による撰文

かって此方に桜の巨樹があり、義公(徳川光圀)が終日めでて「千貫の価値がある。」と賞賛したと云われています。

枯死していますが、この地を「千貫桜」と称して往時のよすがを偲んでいます。

また水戸藩9代藩主 徳川斉昭は、光圀公が愛でた桜を惜しみ植樹を命じましたが、その桜も枯死しています。

現在は染井吉野が数百メートルに渡り桜並木があるそうです👍

千貫櫻歌碑(平成17年建立) 光圀公の歌碑が刻まれています。

「春風も 心して吹け 散るは憂し 咲かぬはつらし 花の木のもと」

14:18

14:34のバス🚌に間に合いました照れ

これを逃すと2時間待ちでしたショボーン

15:07

石岡駅から帰宅します🚉

後1回で水戸街道を踏破出来そうです。

(これをアップする前に、無事に水戸まで到達しましたニヤリ)


最初は余裕だと思っていましたが、最後はバタバタでした。

最後は気持ち良く踏破したいと願います😊