令和6年1月8日に、牛久宿~土浦宿の水戸街道を歩いた③ブログです👟
水戸街道は土浦城下へと向かっています。
土橋宿地図
12:21
南門跡
この上は現在では、高架道路が走っていますが、下の道は下沼と上沼を結ぶ水路で、水戸街道には簀橋が架り橋の北詰に南門が設置されていました。
曹洞宗 東光寺 本堂と瑠璃光殿
東光寺は慶長十二年(1607)心庵春伝により開基されたと云われています。
瑠璃光殿は市指定文化財で、小壁には建物の方位に合わせて欅の板に十二支の透かし彫りがあります。
四方隅の唐獅子、妻虹梁部分の天邪鬼の彫刻とともにこの建物の特徴です。
また寺蔵の古記録および堂内棟札によって、元文四年(1739)の建立年や大工棟梁名などが明らかである点も貴重です。
瑠璃光殿の前に二基の句碑があります。
一つは、芭蕉句で「八九間 空で雨降る 柳かな」で嘉永五年(1852)の蕉翁百五十九年忌に建てられました。
もう一つは、内田野帆の句「声に身を 持たせて揚げる 雲雀かな」です。
境内にある弁天堂(左)
享保七年(1722)建立です。
東光寺の文化財 説明板
浄土真宗 等覚寺
寺伝等によれば、前身は常陸藤沢にあった藤沢山三教閣極楽寺で開基は了信と伝えられています。
小田氏十五代氏春の弟治算により慶長十年(1605)現在地に移り、寺号を蓮光山 正定聚院 等覚寺と改められました。
銅鐘(国指定重要文化財)と鐘楼(土浦市指定文化財)
等覚寺の指定文化財 説明板
鎌倉殿で知った、八田知家の名前を懐かしく見ました。
小田氏の始祖だったのですね。
花蔵院
花蔵院 説明板
土浦市は、この様に説明板が充実していたので嬉しかったです♪
大手門の跡碑
大手門は、二門を備えた内枡形であり外側が単層の門で、内側は二層の櫓門でした。
元和八年(1622)に建てられ、明治六年(1873)に取り壊されたそうです。
大手門の跡地には、土浦市土浦幼稚園が建てられました。
山口薬局と看板があります。
まだ現役の調剤薬局でした。
水戸街道と町並み「土浦宿」の説明板
吾妻庵
創業明治六年の蕎麦屋で、母屋は大正時代の建物だそうです。
しかし、平成10年に火事を出して、平成11年に復元された記事がありました。
うだつ型行灯看板が珍しいですね。
矢口家住宅
矢口家住宅 説明板
凄く新しいな。と、思ったら、2015年に全解体の修復工事が行われたそうです。
新しい情報も追記して欲しいと、残念な気がしました。
まちかど「野村」
江戸時代後期から明治時代初期に建造された蔵。
江戸時代から続いた商家の野村家の3つの蔵からなり、母屋の1階は休憩所と機織や草木染などが体験出来るスペースになっており、2階には昔の生活用品などを展示した資料館になっています。
袖蔵は多目的工房として、文庫蔵は作品展示用スペースとして、煉瓦造りの蔵は喫茶スペースとして使われています。
まちかど「大徳」
江戸時代末期に造られた呉服店の見世蔵、袖蔵、元蔵、向蔵の四棟を改修しました。
観光案内所や土産販売コーナーがあり、昔の土浦の暮らしに触れる事が出来る展示資料館があります。
両方のまちかど店には、人が多く居たので立ち寄りませんでした。(後悔しています)
まちかど野村を左折すると琴平通りです。
沼尻墨僊の塾(寺子屋)跡 説明板
現在は、地元のまちづくり団体が、寺子屋亀楽として習字教室を開いています。
喫茶蔵の隣には、飛行船ツェッペリン伯号と土浦の歴史と垣間見る事が出来る展示館があります。
此方もスルーしています
退筆塚の碑
江戸後期に活躍した土浦の天文学者 沼尻墨僊の筆塚。
文久二年建立。
左手に琴平神社 右手は中城山不動院
旧水戸街道へ戻ります👟
12:48
石上霞月堂
ユニークなファサードの看板建築と蔦が絡み趣き深いですね。
先達の方のブログだと閉店時期は不詳ですが、2006年には閉店していたようです。
左手に見えるのは「天ぷら ほたて」です。
保立食堂(水戸街道より📸)
保立(ほたて)食堂
国道125号線と旧水戸街道の交差点にあります。
創業は明治二年で現在は六代目になります。
国道は昭和10年に川口川を埋め立てて通したそうです。以前の旧水戸街道は桜橋で川を渡していました。
また、戦時中は予科練の指定食堂になっていて、家族との対面場所としても使われていました。
昼食は此方で食べるつもりでしたが、タイミングが合いませんでした
やっぱり、土浦宿はもう一度来るのだろう。と思います。
保立食堂の角に、明治三十四年に架けられた煉瓦造りアーチ橋だった桜橋の親柱と土浦町道路元標が置かれていました。
大正十三年頃の川口川と桜橋の写真ですね👍
保立食堂から国道を渡った所にあった「本町」の由来が書かれた道標です。
12:56
土浦宿本陣 大塚家跡
こんな所にもファサードの看板建築が∑(゚Д゚)
内田砂糖店
昭和4年(1929)建築で「日本近代建築総覧」には、煉瓦造り二階建て記されているそうです。
瀧泉寺山門
瀧泉寺
応永十三年(1406)興譽上人の開山と伝えられています。
初め勝軍木廓(旧鷹匠町)にあったが、慶長十年(1605)か元和五年(1619)土浦藩主により現在地に移建されました。
土浦城との関係も深く、元禄四年(1691)に藩主土屋政直により祈願寺と定められ城内の守護繁栄と歴代城主の尊霊を祈祷して来ました。
瀧泉寺の文化財 案内板
この後、亀城へと向かいました。
その様子は、水戸街道番外編②で投稿させて頂きます🙇♂️
土浦マンホール
常陸野のシンボルとして、土浦市の西に望む筑波山と霞ヶ浦に浮かぶ帆曳船がデザインされています。
2023年より、土浦市が登場する「機動警察パトレイバー」のデザインマンホールが15種類設置されているそうです。
土浦駅まで500m、土浦港まで1.5kmです。
土浦港には以前に行った事があるのと、疲れていたので大人しく土浦駅へと向かいました👟
川口河岸 説明板
13:46
土浦駅
本日は此方から帰宅しました。
後2回歩けば水戸まで行けそうな気がしますが、今回の土浦宿とか他にも再訪したい場所があり少し悩ましく思っています。
思ったよりも良いペースで歩けていたので、嬉しかったです。
まだ中山道も東海道も半分以上残っているので、このペースを維持出来たら良いのですが