ちょっと気になるニュースを目にしたので、いつもの「障害児が~」シリーズは一休み。

 

それはこちら。

 

発達障害と診断された児童が他児童とのトラブル(問題行動)で退学させられ、

不服に思った保護者が「差別だ」と小学校を訴えたニュース。

 

記事内で、保護者は学校が「学校が医療機関と連携していない」と主張し、

学校は「親の協力が得られなかった」とコメントしています。

 

このそれぞれのコメント、「相手方の対応に満足していない」ということで共通しています。

 

これらの主張を見て私は保護者と学校との間でのコミュニケーションがうまくいかず、

信頼関係の構築と歩み寄りのないまま、こういう結果になってしまったのだなと思い、

悲しくなりました。

 

我が息子(重複障害・持病もち)も、保育園と認識のずれや保育方針等をめぐりっての

問題のようなものはあり、特に癲癇発症後はかなりのものでした。(詳細は後日)

 

 

しかし、結果的にはとても大切に保育してもらえたため、無事今年卒園を迎えられました。

 

卒園までを振り返ってみると、常に園とは対話をしていました。担任の先生、園長、経営者、

あらゆる人と会話・面談をして保育園が抱くの懸念を聞きました。そしてそれを主治医に

確認して園に報告するという、なるべく円滑に保育してもらえるような方策をとりました。

 

結果として保育園の先生方が息子の保育に対し、より積極的になってくれたようで、

直接主治医の先生に疑問点等を聞くために息子の診察時に立ち会ってくれるなど、

通園を続けていくための歩み寄りを見せてくれました。

 

これらのことは保護者・保育園双方にとって、時間も手間もかかります。仕事に影響も

出ます。しかし、通園している中で、「子どもにとっての一番」を考えれば必要なことだったと

思っています。そして、その負担が保護者側や保育園側が一方的なものにならなかった

ことが園を信頼でき、最後までお世話になれた一番大きな要因だと思っています。

 

記事の話に戻ります。

 

記事内では、バスでトラブルになったとありますが、なぜそれが起こり、どの程度まで

保護者・学校が歩み寄って解決法や、それを未然に防ぐ方法などを話し合ったかは

わかりません。椅子を投げたというものも同様です。

 

しかし、双方のコメントを見る限り、その後に発展的に良い関係を築けるような話し合いに

ならなかったことは想像できます。

 

小学校に入学し、本人は大好きなお友達や先生ができていたかもしれません。楽しく登校

していたでしょう。その中で特性が見つかり、何らかの配慮が必要になった。そのこと自身、

その子どもが悪いわけでもなんでもありません。そういう子も安心して学べる環境や適切な

教育を、子ども自身が気持ちよく受けることができるようにするのが、大人の役割であり、

それが「合理的な配慮」というものにつながるのではないかなと思っています。

 

退学という結論が差別的なものなのか、学校が言っている「全力での対応」のため、材料を

保護者等から集めた適切なものだったのか詳細はわかりません。保護者側も学校との

話し合いでどこまでのことを伝えていたのか、協力していたのかわかりません。そのため、

一方的にどちらがどうという話はできず、この子が学ぶための環境づくり行えなかった上に

けんか別れとなる、一番悲しいケースとしか言えません。

 

しかし、同じような特性のある子でもうまく普通教育につながっている方が数多くあると

思います。そこには双方が協力し合い、歩み寄っての信頼関係が出来上がっている

ことは間違いないでしょう。

 

子どもが気持ちよく学べること。その環境をつくるために汗をかくは大人の使命。

 

自分自身も心に刻んでおきます。