どうも。

 

さて、前回のブログ

 

 

最後に書いたように、第二子の話。今回は出産時のお話。

 

第一子のことから約二年。正直不安もあり、子どもの話題を避けていた時期もあり

ましたが夫婦でじっくりと話し合い、その後授かった第二子。病院ではより細かく、

より神経を使って様子を見てもらっていました。

 

そのかいもあってか妊娠期間は順調に過ぎ、無事予定日を約一週間後に控えた

平日の夜、少し痛みが来たため早めの入院となりました。

 

土砂降りの雨の中病院に向かったのちお医者様に見てもらうと、陣痛ではあるが

まだ相当かかるとのこと。そのため私は一度家に帰り、あらためての準備と諸々

連絡作業の手はずを整えていると急に病院からの電話。

 

「分娩に入ります。早く来てください。」

 

おかしいな、まだまだかかると言っていたのに・・・と不思議に思うとともに、電話口の

様子から切羽詰まっているようにも感じたのでとにかく急いで病院へ。

 

病院に入るとすぐ分娩室のあるフロアに連れていかれ分娩台を見ると、痛みに苦しむ

妻と慌てるお医者様などの病院スタッフ。一刻をあらそう事態であろうことはド素人の

私でもわかりました。

 

そこで何が起きたかを聞くと、赤ちゃんが胎内で低酸素状態にさらされていて、早く

母体から出して呼吸器をつけなければ危ない状況であると言われました。

 

常位胎盤早期剝離

 

胎盤が早く胎内ではがれてしまい、母体から胎児へ十分な酸素が送られず低酸素に

なってしまうことだそうです。

 

酸素がいかない。第一子のこともあり、それがどのようなことを引き起こすかはすぐに

想像がつきました。また、母体からの出血も病院の方々が心配している様子だったので、

妻も危険にさらされていることを理解しました。

 

お医者様がとにかく押し出すようにして出産。すぐさま保育器のようなもへ運ばれた

我が子は泣くこともなく、青白い体ですぐに酸素マスクや心電図付けられました。

のちに妻に聞くとその時は、意識がもうろうとしていて、どういう状況かあまり把握

できていなかったそうです。

 

呼吸無し。心音無し。

 

それが生まれてきた時の状態、仮死でした。

 

すぐさま心臓マッサージ。そしてNICUへの搬送のため病院の方々が動いている中、

私は祈ることと、妻に話しかけることしかできず、その状況で不安と

 

「またか…」

 

がずっと渦巻いていました。心臓マッサージの手を止めると弱まる心音。当然呼吸も

戻らず。そんな時間が続く中で、搬送先からドクターカーが到着。NICUの医師・看護師

の方の処置に変わるも、すぐに搬送できない状態。

 

ここまでで私が病院に到着して一時間半ぐらいたったと思います。最終的に病院への

搬送が決まったのはそれから一時間近くたってからだったと思います。

 

処置の関係で同乗できず、あとから色々な荷物を持って別車で追いかけることに。

入院先は近場のNICUがどれも満床で、車で一時間ほどかかる場所でした。お医者様に

もしかすると搬送途中で急変してしまうかもしれないと告げられての出発でした。

 

長くなってしまったので、続きは後日。