プラハに行ってきて思ったのが、もちろん美しい街並みや食、共産主義の名残もろもろあったけど、
なんだかすごく心に響いたのがホームレスの人達のこと。
今イタリアに住んでて、もちろん失業率も10何%かあって、街にはホームレスがたくさんいる。
チェコはそれ以上に貧しい国なのか、街でたくさんコップを持って跪いている人がたくさんいた。
それと同時に、そういったホームレスの人に、クリスマスマーケットのホットワインをちょっと分け与えてあげている人がいたり、声をかけてあげたりしている人を見かけたことも、すごい驚きだった。
プラハは風が強くてすごく寒かったから、この人達死んじゃうんじゃないのかなとか、
なんだかいろいろ思うところがあって。
ホームレスの人たちは、何より、瞳が違う。
絶望しきっていて、その瞳に希望が無い。なんだか、そのように感じる。イタリアでもそう。
ミラノには駅でおつりを盗もうとしたりだとか、なにかスリをしようとしている人達がたくさんいるけど、彼らは違う。彼らは本当に終わってると思う。
本当に物を欲している人というか、望みを失って心から他人に慈悲を得ようとしている人とは瞳が全くちがう。
プラハ滞在最後の日に、飛行機までまだ時間があるから最後にビールでも飲もうかなーとおもって歩いてたら、
ホームレスの人が、
お腹がとても空いていて、とても辛いから、すこしでも恵んでくれないかと声をかけてきた。
ヨーロッパに来てからそういう人達を相手にしているときりがないので、情は捨てて一切あげないようにしている。
だから反射的にいや、ごめんねあげられないって言ったけど、
こっちに来てから、恵んでくれと声をかけてくる人はたくさんいたけど、あんなに謙虚に、かつ真剣に声をかけてきた人はいなかったなと思った。
もちろん、あの人はまだ歩き回って声をかける気力のある人だから、まだ重症ではない。
でも、なんだか自分がこれから単なる贅沢で飲もうと思ってたビール1杯ぶんのお金があれば、その人はパンを2-3個買って食べることができるんだなあと。
ちょっと考えて、ポケットにもう使わないであろう150円分くらいの小銭が残ってたから、あげようとおもって戻ってみたけど、もうその人はどこにいるかわからなかった。
そうやって思うと、
街には厳しい寒さに耐えながら1日中外で情けを求める人がいるすぐそばで、満面の笑顔でクリスマスマーケットのホットドッグやら食べ物を食べる人たちがいる。
両方の世界がふと同時に見えてくると、とても複雑な気持ちになった。