そういう定義は置いといて。 | 弥 高矢 演技の先生ってどんななの??

弥 高矢 演技の先生ってどんななの??

「無意識を解放し、
全てをさらけ出しても尚、魅力的」

心理学を応用した演技理論展開を元に
表現についてなんかを
だらだらと書いてます。


演技、ダンス、歌、
様々な表現から
自身の考え方、
取り組み方と日常を・・・・・。



日常8割ですけど。

演技ブログです。





たまに
生徒から



「学校で習ってたんだけど
全然教えてくれなくて・・」



とか


「少ししか出来なくて・・・」


とかって

話を聞いたりするんですよね。




うん。







まぁ
確かに

演技の学校も
ダンスも歌も

噛み砕いて教えたり

きちんとした理論があって
教えてる事は
少ないかと思ったりします。



それこそ


「感性」や「感覚」に「好み」





押し付けや

全否定が待ってたりするのも
確かにわかる。






けどね、









「君は何を努力してきたの??」









ってのが

結構抜けてる事が
あると思うんですよ。





もちろん
環境や出合い、

本人の資質なんかも
あると思う。




けど、



こういう事を
言う人に限って

なんもやって来なかったりするのも
事実なんですよね。








もし、

本当に


「役者」





目指すのであれば




「本気」







人達に
触れあってみると
いいかもって
思ったりするんです。





何がどうして

「本気」

なのか


どうなったら

「本気」

とか



勘違いの


「本気」


とか



そこら辺の
定義は置いといて






色んな人を
見てみたらいい。




んで、



どんな
生活と鍛練をしてるのか

コミュニケーションを
とってみたらいいと
思うんですよね。





色んな人がいると思うし。




その中で、
自分はどんな努力をして

どんな風になりたくて

どんな
役者になりたいか
決めたらいいと思ったりします。




そこで
自分自身がぶれないような
出合いや感覚があるかもしれないし、

逆に困惑したり
諦めたりする事もあると思う。





それはそれでいいし、
人生を生き抜くヒントや
指針が少しでも見えれば
収穫はあるんじゃないかなと。





「色んな人ものを見に行く時間がない」


「色んな人と話す時間がない」








って
言うなら・・・・・・










「自分の鍛練をする時間がない」









ってのと
同じ事だと思ってる。





人と話し、
人と接し、
人と関わるのも


また
鍛練なんじゃないかな??






けど




「自分の都合のいいような解釈」









どんな時でもしないで
欲しいけど。





いかがでしょうか??