私的ブログです。
さて、
クラブやダンスの環境弾圧なんかと
ちょっと似ているんですけど
義務教育である中学生の間では
line使用規制などが
実施されていらしいのですが
なぜ、
問題が起こった時に
「抑制」「抑止」「中止」「規制」
しか
発想がないのでしょうか??
「このボタン絶対に押さないでねっ!!」
「この箱絶対にあけちゃだめだよ!!」
で、
やらなかった試しが
ないと思うんだけど(笑)(  ̄▽ ̄)(笑)
lineやTwitterなんかを
規制したりするのは
確かに必要かとは思いますけど
それよりも
問題なのは
「いじめを行う人の心と教育」
な
訳でしょ??
規制しても隠れてやるだろうし
なんとか掻い潜ろうとする輩のが
ほとんどでしょ??
line=犯罪ではないし
何が悪いかわからなかったら
ためらいも思いとどまる事もないもの。
大人は良くて子供はダメ
な
理由も曖昧だしね。
抑制などするならば
フルに使って
いじめなんかしてる暇がないくらいの
「プラス」
を
提供しつつ
いじめや犯罪の怖さ、卑劣さなんかや
言葉使いに物の考え方や
大切にして欲しい事なんかを
伝えていった方がいいんじゃないかな??
lineがなかった時代は
ネットの簡単ホームページだったり
その前だと
メール、
その前だと電話、
その前だとクラス内の
手紙のやりとり
これまでに
規制をしてきて
いい結果になりましたか??
増える一方じゃないかな??
それならば
lineやTwitterなどは
手段にしかなく、
原因とは言えない。
あくまでも
原因は
「人」
でしょ??
規制するなら
人自体規制してみたら
いかがでしょうか??