何故かを考える。 | 弥 高矢 演技の先生ってどんななの??

弥 高矢 演技の先生ってどんななの??

「無意識を解放し、
全てをさらけ出しても尚、魅力的」

心理学を応用した演技理論展開を元に
表現についてなんかを
だらだらと書いてます。


演技、ダンス、歌、
様々な表現から
自身の考え方、
取り組み方と日常を・・・・・。



日常8割ですけど。

今回の舞台、困った事があります。


今日はそれを書こうかなと。





まず役者のみなさん。


一生懸命やってるのはわかるんですが演出家の主旨をきちんと理解しているのかが微妙なんです。





今回は学生運動が盛んな時代、生き抜いた人、暴走した人を描くもの。


間違っていたとしても、何かをしようとアクションを必死で活動してきたが捕まったしまう。




そんな当時をリアルに描いた作品なんです。





「その時代の事を調べてその子になれるように・・・・」






「この当時の人の気持ちに近付くように・・・」










それ、違うよ????










実際の爆破事件を扱ったものだけどその子にはなれないよ??






何かになるのが役者じゃないよ???









アーティストとして表現しなきゃいけないの。









何を???





どうすれば????









演出の主旨をもっと考えて欲しい。



そんな薄っぺらい演技なんかいらないから。








何故こういう演出になるのか???



それを考えて欲しい。



「考えてます!!」


「勉強してます!!」








だから違うんだよ。




主旨は何??











連帯を求めて孤立を恐れず

力及ばずして倒れることを辞さないが

力尽くさずして挫けることを拒否する








なんだよ。






キミの中でのそれは何???









役者として、俳優としてこの気持ちはないの???


ないからそれだけ薄っぺらなんだよね。


あるならそのまま出せばいい。

頑張るポーズはいらない。







周りから「役者」と言うことを否定され、

それすら「犯罪」と罵られてもなお、

貫き、傷つき、倒れ、慟哭することが出来て始めて表現出来るんだよ。





それがわからないから頑張ってるポーズになるし媚び売りになるの。


そんな背伸びした演技なんかいらない。




何かになるより自分に当てはめて考えればどうすればいいか答はでるはず。




制約の中の自由、そして表現。




自分でありつつも何かになるってのはそういう事。