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こんにちは^_^




恩師との出逢いは<幼い記憶  Ⅲ>より




恩師は私の母より少し年上
これは後から知ったのですが
東京白金が生家で戦争にて
鎌倉へ越されたそうです
その当時で音大を卒業されて
いらっしゃるのですから
お嬢様ですよね

御主人のお仕事が農村医学を学ぶ
お医者様でしたので
私の田舎へ来たそうです
恩師もまた  私が学ばせていただいた
音楽教室でピアノを教えていたことが
あったそうです♪


私は先生からしてみれば
相変わらず口数の少なく
何を考えているのかわかりにくい
扱いにくい
生徒だったと思います

当時のピアノレッスンですから
発表会でも先生の選曲された曲を弾く
のみで普段も練習曲ばかり…
さすがの私もだんだんと
ピアノの練習を
する時間が減ってきていました

「紙鍵盤で練習している子もいるのに
   Hちゃんは恵まれているのだから
   沢山練習しないとダメよ

と何度諭されたかわかりません

時には学校行事での音楽会で
「伴奏するのでみてください」
とお願いすると
「ちゃんと弾けるじゃない
と仰ってくださいました


練習不足の時には
「ちょっと  練習してて~」
別の部屋から聴いていて
練習時間を与えてくださいました

厳しい中でも
信じてくださる優しさが
あったのですね

先生の生徒さんは
音大を目指しているような生徒さんが
多かったので  私もですが
その中にいた私はずっと
劣等感を持ちながらいたような
気がします
皆さん上手な方ばかり…  子供の見える世界は狭いですね


でも  発表会の後のレッスンでは
私は演奏に納得していないのですが…
「素晴らしかったわね
と褒めてくださいました
複雑ですが嬉しかったです


先生から学んだことは
ピアノの技術だけではありませんラブラブ
とても感謝しております音譜


いまでも
「そろそろ引退したいのだけど…」
と仰りながらもピアノを教えて
いらっしゃいます
「いつでも遊びにいらっしゃい。
   また大きな災害があったら
   私のところに避難してくれば
   いいから」


と仰ってくださいます
それを励みに

私も頑張れるのですねクラッカー





出逢えた皆様に
ありがとうございます♪♪♪