★直腸癌ステージⅢb寛解★

 PART3/4 

◆◆ 転【仮】◆◆

 2016年末に、直腸がんが見つかり2017年1月に直腸ほぼ全摘&ストーマ造設、その後2度の手術と、化学療法8クールを行い、2024年1月に寛解となりました。

 寛解状態になったこの時に、この期間の出来事を起・承・転・結として仮と正(正式)版としてまとめて整理し、今後は振り返ることなく、生活して行こうと思います。

 

◆◆ 転【仮】PART3/4 ◆◆

 ここでは、ながらワーカーとしての社会復帰後から瘢痕ヘルニア及び、傍ストーマヘルニア手術までを投稿しようと思います。

 

1、この時期の主な状況

 

 まずは、尿管ステントに関してですが、3か月後に、ステント交換術(お産はしたことは無いですが、同じような体制で、局麻(局所麻酔)にて、更にその3か月後には、尿管も無事くっついたとの判断で無事抜去。(2回目の手術より半年後)

 その後徐々にではありますが、排尿障害も、感覚も少しづつですが良くなってきて、(ストーマも再創生した手術の1年後くらい)、自己導尿の方も終えることが出来、この面では勤務は少し楽になったと思います。

 

 メインの癌関連に関しては、ストーマも再創生し、化学療法も働きながら終了し、造影CT及び、(被ばく放射線量の関係で)腹部エコー検査も交互に行い、再発及び転移を疑われる箇所は見つからず、腫瘍マーカーの一つは別として、良好な経過でした。

 

 ただ徐々に瘢痕とストーマ周りの傍ストーマヘルニアが進行と言うか、ひどくなって行き、ストーマ装具(パウチ)から漏れる回数も増え、夜間に対応する回数もそれに伴い増え、術後3年目ににはかなりストーマ―周りが凹み、下記の様な面板固定用のテープや皮膚保護テープなどを使ってもコントロールが難しくなってしまいました。

 

 

 

 結局、ストーマ周りの傍ストーマヘルニアに対して、腹部の腹膜全体に特殊なメッシュを張り付けるSugarbaker法内視鏡手術で行うと言う事になりました。

 ストーマ―周りは複雑な2重の貼り付け、メッシュは、片面は癒着、片面は癒着防止で、癒着面を腹膜側、内臓の方は癒着しない面で、めくれないように40カ所位を、タッカーで固定。但し腹膜等にタッカーで固定してもすぐめくれるので、タッカーは筋肉に打ち込み抜けないようにするので、患者サイドとしては、とにかく術後1週間くらいは痛みとの戦いなるとの事!

 

2、ヘルニア手術Sugarbaker法

 

 この手術は、3時間位の手術で、少し長くなり、今までの2回の手術で、あちこち望まない癒着が起きていたようで、通常腹部の3か所の穴(ポート)から行うのですが、癒着が酷い箇所の剥離?の為、計6か所ポートを用いた事と、広範囲の為40か所の予定が60カ所位タッカーを打ち込みメッシュを固定したとの事。

 ストーマ周りと、お腹の右側のぷくっと出た部分が、かなり平らになりました。

※ズトーマがなくなったわけではないので、特有の下腹部全体が、ポッコリ餓鬼の様に膨らむのはそのままですが・・・・

 

 麻酔が、切れてからは、言われる通り一週間は、お腹に(焼いた)釘を刺された様に

とにかく熱く痛んだことしか思い出せませんネ(>_<)

 

 ただ、パウチは、それまでの凸のものから標準の平らなもので対応できるようになり、ベルトや保護テープ、皮膚保護テープは、使わなくても良くなりました。

 

3、ながらワーカーに関して

 

 導尿カテーテルでの排尿に関しては、1年過ぎたころから排尿障害が軽快して徐々に不要に無くなり、職場でもオストメイトとしてストーマの関連での排便や、漏れた場合の対応も慣れてきて、煩わしさは今後もずっと続きますが、手際も良くなり交換作業自体の負担は減ってきました。

 

 但し、上記1、この時期の主な状況 にあるように、ヘルニアの関係で、職場でも家(夜間も)漏れる回数が徐々に増え、トータルの負担は、復帰した頃と変わらず、睡眠に関しては徐々に悪くなり、寝不足で勤務がしんどい日が増えてきた時期ですネ。

 

4、化学療法に関して

 

 この時期は化学療法も半年で終わり、以前書いたように私の場合の副作用(副反応)は、髪の毛等は影響は無かったのですが、赤血球と手の指先の神経がターゲットになった様で、赤血球の減少による貧血(2日目が酷い)と指の痺れ(特に冷たいものを持つと痛みが走るほど)が主な副反応でした。

 化学療法の終了と共に、赤血球現象による貧血は徐々に回復し、指先の痺れは気になって、このまま永遠にずっと続くかと思っていましたが、化学療法終了後2年目後半から徐々に軽くなり3年目頃に消えました。

 

 痺れの件に関しては多くの方が経験し、気になるレベル程度では済まない方も多く、いつまで? 永遠に続く? と不安の方も多いと思います。

 私の経験では、徐々になくなり、期間は個人差があると思いますが、私は3年目に気づいたら痺れが解消されていたという感じです。

 

 

5、オストメイト状況に関して

 

 上記の様に、ヘルニア手術までは苦労していましたが、手術後は一般的な負荷のレベルに落ち着きました。⇒現在とほぼ同じ状況


 

6,用具&装具以外の対応

 

①睡眠

 ヘルニアの手術までは、試行錯誤をしながら色々対応はしていましたが、漏れる事も有り、夜間に着替えやシャワーを浴びる事も多く、睡眠不足の時も、間々ありました。

 

②薬(マグミット:便秘薬として)

 癌には無関係ですが、今現在と同様(習慣性の少ない)マグミットを定期的に処方して頂き、服用の量の調整で常に便秘にならない様、コントロールを行っています。

 

③飲食

 また今もですが便の質と量に加えガスがパウチのパンクに影響するで、炭酸系の飲料(このころは飲酒も控えていましたのでビール等含む)や、ガスの出やすい食事等も、特にヘルニアの手術前までの時期は一番に注意していました。

 

7,趣味等に関して

 

 癌になって、1年後過ぎの排尿障害も消えたころから、仕事も普通に復帰し、ほんの少しですが生活も落ち着いて、何か少しを少し行えるようになりました。

 

①ドライブに関して【旅行に関して】

 宿泊を伴う旅行は、する気にも全くならないので、常時持ち歩くパウチ交換セットをもち、近場から始まり、日帰りドライブの距離を徐々に延ばしていきました。

(宿泊を伴う旅行に関しては、今もですが、ホテル等の外での宿泊は、漏れると大変なので、まだ宿泊はしたことは無いですし、どうしても気になるので、絶対の必然性が無い限りは行う予定はないです。もし宿泊するなら多分寝ないと思います)

 

※外の宿泊にはキャンプの宿泊は、例外的にOKです。

 テントを含む、寝具等全て自前なので、問題が無いからです。

また、ソロキャンなのは、問題が発生の時、自由に家に帰れるためです。

 

②外飲み

 これは、この時期は全く、職場の飲み会も全て欠席です。

このころは、特に飲みなれていなく、飲むとどうしても注意力が落ちて、漏れる事が(自宅で)多いのでしませんでした。

 癌になって以降、外に飲みに行ったのは1度のみで、状況を充分理解したうえで、知人がどうしてもと言う事で、準備して頂いた席に行ったきりで、今後も余程のことが無い限りは、何も考えずに楽しんで飲めないので、飲むことは無いですネ。

 

③釣り&キャンプ

 キャンプの方は、ヘルニア手術が終わり落ち着いた後から復活ですが、調子(排便関連)がよさそうな時は、釣りに関しては、たまに行くようになりました。

 

④ゲーム関連。

・チャットのあるオンライン系のゲーム(MILU)

 非常に楽しんでいたのですが、長期未ログインと言う事もあり知人が居なくなりやめてしまいました。

 

・艦これ

 これは、一人で行うゲームでしたので、家でのオンラインは時間がある時にプレイ再開。艦これのアーケード版も余裕がある時に復帰。

 ただ現在は、何がきっかけか覚えていませんが、ヘルニアの手術後の3年前くらいに一度離れた後今は休止!

 

・ビビッドアーミー&トップウォー

(新規に始めた、メジャーなチャットのあるオンライン系のゲーム)

 MILUで悲しい終わり方をしたので、メンバーとはあまり深入りしない様に新たに始めたゲーム。

 ただ、このゲーム始めたのは、この時期ではなくヘルニア手術後、更に日常にもう少し余裕が出来た、起・承・転・結で言えば結のPART4/4の最後のパートからです。