雛倉は拙宅から2.5km北東に行った静かな農山村地域で、私にとっては地元であり、ホームグラウンドのようなものなので、早速、12月19日に夫婦岩を訪ねてきた。
夫婦岩は二つ並んだ縦長の岩で、地面に出ている高さは約60cm。花や果物が供えられ、手縫いの赤い前掛けを掛け祀られている。

左は県道関本巣線(79号)沿いに新しく立てられた案内標柱。夫婦岩は、もともとは90mほど北の道路付近に立っていたが、昭和51年に土地改良で現在地に移された。それ以前は東側の山道に立っていたという。

このほど、郷土の伝説を多くの人に知ってもらおうと、地域住民でつくる「網代歴史研究会」が伝説の紹介看板を現地に設置した。11月に現地で除幕式があり、研究会のメンバーや地元住民らが参加して完成を祝ったという。

伝説によれば、約500年前の室町時代、現在の本巣市にあった祐向山城(いこうやまじょう)の城主の娘・雛鶴姫と、山県市にあった大桑城(おおがじょう)の武士・高井倉之助は、桜の名所だった雛倉の地を花見に訪れた際に出会った。恋に落ちた二人は夫婦になることを誓ったが、まもなく戦が起きて二つの城は落城。逃げ延びた二人は雛倉で再会したが、敵に追い詰められ「あの世で結ばれよう」と心中した。哀れんだ村人が夫婦岩を建て、二人の名前の頭文字を取って「雛倉」という地名になったといわれている。

伝説に登場する城と雛倉の地の位置図。私も地元住民なので、いずれも山城である山口城跡、法林寺城跡、大桑城跡へは登ったことがあるが、祐向山城跡は未登城である。それにしても、なかなかに良くできた歴史のロマンを感じさせる物語である。

夫婦岩を別アングルから見てみたが、文字は何も刻まれていない。

12/14の新聞記事(中日新聞[朝刊]岐阜・近郊版)。

岐阜市雛倉 夫婦岩のMAP