姫と武士の悲しい恋物語伝説 岐阜市雛倉の地名由来に | シニアの の~んびり道草

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日頃の散歩や近場のドライブ、時には一晩泊りでぶらっと訪ね歩くことがある。そんな折、おお! これは綺麗だ、これは凄い、これは面白いと感嘆したり、感動したようなことを、思いつくまヽアルバム風に綴ってみる。

12月14日の新聞報道(中日新聞[朝刊]岐阜・近郊版)で、岐阜市網代地区の雛倉に伝わる「夫婦(めおと)岩」の郷土伝説をはじめて知り、大変興味深く読んだ。

雛倉は拙宅から2.5km北東に行った静かな農山村地域で、私にとっては地元であり、ホームグラウンドのようなものなので、早速、12月19日に夫婦岩を訪ねてきた。


夫婦岩は二つ並んだ縦長の岩で、地面に出ている高さは約60cm。花や果物が供えられ、手縫いの赤い前掛けを掛け祀られている。


左は県道関本巣線(79号)沿いに新しく立てられた案内標柱。夫婦岩は、もともとは90mほど北の道路付近に立っていたが、昭和51年に土地改良で現在地に移された。それ以前は東側の山道に立っていたという。


このほど、郷土の伝説を多くの人に知ってもらおうと、地域住民でつくる「網代歴史研究会」が伝説の紹介看板を現地に設置した。11月に現地で除幕式があり、研究会のメンバーや地元住民らが参加して完成を祝ったという。


伝説によれば、約500年前の室町時代、現在の本巣市にあった祐向山城(いこうやまじょう)の城主の娘・雛鶴姫と、山県市にあった大桑城(おおがじょう)の武士・高井倉之助は、桜の名所だった雛倉の地を花見に訪れた際に出会った。恋に落ちた二人は夫婦になることを誓ったが、まもなく戦が起きて二つの城は落城。逃げ延びた二人は雛倉で再会したが、敵に追い詰められ「あの世で結ばれよう」と心中した。哀れんだ村人が夫婦岩を建て、二人の名前の頭文字を取って「雛倉」という地名になったといわれている。


伝説に登場する城と雛倉の地の位置図。私も地元住民なので、いずれも山城である山口城跡、法林寺城跡、大桑城跡へは登ったことがあるが、祐向山城跡は未登城である。それにしても、なかなかに良くできた歴史のロマンを感じさせる物語である。


夫婦岩を別アングルから見てみたが、文字は何も刻まれていない。


12/14の新聞記事(中日新聞[朝刊]岐阜・近郊版)。



岐阜市雛倉 夫婦岩のMAP