こんにちは。
ひろこです♪
私が長年に渡って
出来なかったことのひとつは
「自分を認める」ということでした。
やったこと、出来たことを
素直に認められなかった。
それはつまり
自分自身を認められなかった
・・・ということです。
やったこと、出来たことを
「ちっぽけなこと」と評価することは、
日本人が大好きな(笑)
奥ゆかしさに思えるかもしれませんが
これはそうとも限らなくて。
見方や取り方によっては
真逆の気持ちが隠れていると
思われても仕方がないかもです。
正しいとか間違いとか
そういうジャッジは必要ないけれど、
そこにあるまま、見えるままを
そのまま評価できることが
もっとも好ましいことではないでしょうか。
昨日、こんな記事を書きました。
私が
取り立てて昨年と違いのない自分に
満足や幸せを感じられるのは
ただただ、私自身が
満足を感じる自分を認め、
幸せを感じる自分を認めた
・・・という、それだけのことです。
やったことをやったと認める。
出来たことを出来たと認める。
ただそれだけ。
そこに
満足を認める、幸せを認める。
ただそれだけ。
大きいか小さいか、足りるか足りないか
基準を設けたり、測ろうとしたりせずに
ただ、目の前のことを認める。
あたり前と言えばあたり前。
でも、そのあたり前も
実はコーチングで身につけたことです。
常にフラットで、ニュートラルであること。
過大評価も過小評価もせず、
そのままを認めるということです。
これ、簡単そうですけど
決して簡単ではないと思ってます。
いや、こんなふうに書くと
いかにもそれが出来るようになったと
言ってるみたいですが、
決してそうではありません。(笑)
そういう見方や考え方が
出来るようにはなったと思います。
もっと正確には、
出来ることもある・・・ということです。
とりあえず理解できるようになりました。
(なんでどんどん自信のない表現なの?/笑)
言い訳するつもりはないけれど
それくらい難しいことだと思ってます。
やった自分を認める
出来た自分を認める
そのままでいいはずなんです。
だけどそこに
他人さまの目だとか評価だとか
いらないものを意識するから
ただ認めるというだけのことが出来ない。
やったこと、出来たことに
満足を感じているならそれでいいのに
この程度で満足だなんて言ったら
恥ずかしいかな? バカっぽいかな?
・・・とか余計なことを考えるんですね。
(そっちの方がよほどバカっぽいわ!/笑)
この程度のこと、あたり前のこと
と思うんだとすれば、
「この程度のことが出来た」
「あたり前と思うことが出来た」
と考えるのがニュートラルでフラット
・・・ということになるでしょうか?
他人さまの目や評価を気にして
「これくらいのことで・・・」
なんて言うとしたら、
取りようによっては
「私はまだまだこんなもんじゃない!」
「この程度の者ではないですよ!」
と思っていると解釈されるかもです。
それって
控えめに、謙虚にいるつもりが
ものすごく尊大に、傲慢に見られる
可能性があると思いませんか?
まるで真逆です。(笑)
感じることを感じるままに認めることは
自分自身を認めることです。
嫌なことを嫌だと認めることも
心地よさを心地いいと認めることも
どちらも自分自身を認めることです。
歯磨きした後って気持ちいいですよね?
しないと気持ち悪いですよね?
そこを嘘ついても意味ないですよね?
自分に嘘をついたり
ごまかしたりすることは、
本当に意味のないことです。
思考は時間がかかるから
言い訳をしたり、取り繕ったりするけど
私達の感覚は
すべて一瞬で感じ取っているから
本当はごまかしようがないんですよね。
感じたことをなかったことにするとか
意地張って見ない振りをするとか
本当に意味のないことです。
だって本当はすべてわかってるから。
大きくもなく、小さくもなく
ただ感じたまま、そのままを認める。
ありのまま、そのままを
感じて認めて受け入れる。
そうできた時、
満足とか幸せが心にも身体にも
沁みるように感じられると思うんです。
あなたの人生が
豊かに面白くなるよう祈ります♪




