こんにちは。
ひろこです♪
目には見えないけれど、
ご縁というのは誰もが持っている
とても不思議なものです。
私には台湾人のお友達がいますが
その女性とは数年かかって
不思議な偶然が二度三度と重なり
その後、しっかり繋がりました。
彼女を通して
新しいお友達が出来たし、
コロちゃん前には毎年会ってました。
この方向音痴王の私が(笑)
ひとりで台湾に行ったのも
彼女がいてくれたからでした。
ヘンな言い方ですが
お互いにその存在が普通で
それほどちょくちょく連絡しません。
言ってみれば信頼があるので
安心してお互いに放置なんです。(笑)
必死に追いかけなくても
繋がるご縁はあるし、
言葉がなくても
繋がり続けるのがご縁なのでしょう。
一方で悲しく途切れてしまった
残念なご縁もいくつかあります。
まぁ、それもご縁です。
必死に繋がろうとしても
途切れる時は途切れますから、ね。
たとえば、立場が変われば
見え方にも感じ方にも違いが出ます。
当然のことです。
どんなに言葉を尽しても
伝わらないことってあります。
気持ちを込めたからって
わかってもらえるとは限らない。
これは
どちらが正しいとか間違いとか
そういうことではなくて。
だから少なくとも
違いというのはどこにでもあると
わかっていたいと思います。
昨日、こんな記事を書きました。
たとえば
私が正直であることを選んでも
誰もがそれを理解するとは限らず
別の解釈になることもあります。
気持ちは目に見えないし
まして行動の真意のようなものは
お互いに慮ってしか成立しません。
そう、お互いに、です。
片方が躍起になっても
どうにもならないものですし、
双方で違う方向を向いて
それぞれの主張をしても同じこと。
コミュニケーションの難しさって
そういうこところにあるのでしょうが、
これはひとつの“ご縁”でもあると
時々、私は感じます。
伝えよう、届けようとがんばっても
受け取ってもらえなければそれまで。
誰かと繋がれるとすれば、
お互いの波動とかエネルギーとか
何かしら引き合うもの、通じるチカラが
働いているんだと思うんですね。
すごく正直に言えば
私だって受け取れないことありますから。
極端な例えをすれば、
少しも信じる気持ちのない宗教に
どれだけ誘われても断ります。
それは必要なことです。
誤解のないように念のためですが、
宗教がどうとかじゃないですよ。
そうではなくて
言葉とか気持ちに乗ったエネルギーが
お互いに相容れなければ、
繋がることは出来ません。
がんばっても難しいです。
私達の仕事には
そういう面がとてもあるので、
「伝わらない・繋がれない」ことに
かなり打たれ慣れてます。(笑)
仕方がないのです。
たとえ私が何かを尽しても
それを受け入れろという方が
よほど乱暴なことですから、ね。
それぞれが感じること、
それぞれが選ぶこと、
もしそれが伝わって、繋がれたら
その方が奇跡みたいなものです。
でも、ね。
人は他人から
受け入れろと言われたら
「なんて乱暴な!」と思うけど、
自分を受け入れてもらえないと
「酷いっ!」ってなるんですよ、ね。
目に見えないもの、見えにくいもの
お互いを信じて受け入れて
繋がり続けていくというのは
その関係性がどうであっても
本当に奇跡みたいなことだと思います。
たとえば
若い相談者さまに
私が相談員だからという理由で
「私を信じて受け入れて!」
なんて言うのは無理な話です。
相談するからって
信じられるとは限らない。
いや、疑って普通です。(笑)
知らないおばちゃんのこと
疑って普通だからね。(笑)
最初は受け入れ難かったであろう
私との相談を続けてくれた
若いご相談者さまの不安を想うと
そういうものひとつひとつが
奇跡的なご縁だと思えるんです。
そして、もうひとつ。
いま、私のモニターをしてくださっている
あるいはしてくださった十数名の方々に
本当に心から感謝しています。
こんな
どこの馬の骨ともわからない者の
モニターを引き受けてくださるわけで。
未熟で申し訳ないとしか
言えないところがありますが、
それでも繋がってくださった
すべての方に心から感謝しています。
見えないものが繋げてくれた
貴重なご縁に感謝せずにいられません。
あなたの人生が
豊かに面白くなるよう祈ります♪




