子供の頃 いじめられて帰ってくると

母親はまるで自分のことのように 悲しい顔をした

そんな母親を見て いつしか俺は 

母親を悲しませているのは自分だと思うようになっていった

そしていじめられるのは 自分に問題があるからだと思い込むようにもなっていった

つまり俺がしっかりしていれば いじめられないし

いじめられなければ 母親が悲しむようなこともないはず

俺は装いだした 演技を始めた

いじめられても それを表に出さず なんでもないように振舞った

表面的には いじめに屈せず 以前いじめてきたヤツラと友達になるくらいに

強くなってみせた


そのときから インナーチャイルド(内なる自分)に 

無理をさせてきたのかな? 

インナーチャイルドとの会話の中で ようやく気付けた 自分の本音

自分と向き合う 自分をみつける はじめの一歩
子供のころから 自分を愛せずに 信頼できずにいた

自分はなんてダメなんだ

周りが自分をいじめるのは 自分に問題があるからだ きっとそうだ

そうやって 自分のことを信じられずにいた

自分が信じられないから 自分が自分であるためには

他人によりかかるしか なかった

「こんな自分」を信用してくれたり 好きといってくれる人に

ほぼ無条件でよりかかっていった

そうすると 次第に負担になってきちゃうよね

そりゃそうさ

だって よりかかっても よりかかっても

内なる自分は 他人の中に 自分を確立させたくて仕方がないんだもん

どんどん要求はエスカレートしていく

他人との境界線に まるで 戦車で踏み込んでいくかのように

しまいには

自分のほうを常に向いていてほしくて わがままを言ったり とりつくろったりする

ここまでくると 戦車じゃなくて モビルスーツだな


まずは 自分を信用しよう 好きになろう

自分の一番の親友は 自分であるということを 認識していこう

自己否定から自己信頼へ

自分が信頼できたとき 他人との境界線を きちんと守って 接することができるはず


内なる自分へ

大丈夫 

僕はここにいて いいんだよ

自分のこと 信じていいんだよ


自分を信じるための はじめの一歩

ゆっくり ゆっくり 俺は階段をのぼる
自分の中にいる内なるこども

真実の自分 本物の自己

こどもがこどもらしく生きられたとき、こどもとしての要求が答えられていたことになる

しかし、そのこどもの精神的・肉体的要求が親に答えてもらえないと

こども本来の成長のチャンスを失ってしまう

だから小さい頃から、おとなのような振舞いをしていても

本当のおとなになったときに

要求は無視されたこどものころにこだわってしまう

体が成長にするにつれ

外での振舞い方とインナーチャイルド(内なるこども)との差は広がっていってしまう


これまでの自分は

そんな内なるこども(自分自身)が

時折表に出てきては 抑圧されていたわがままをいってきた

さびしいはずなのに わざと距離を置くといって関心を引こうとしたり

悪いとわかっていても その場をとりつくろってみたり


そんな自分の内なるこどもに 今は

「大丈夫だよ。さびしくなんてないよ」

といってあげたい

今の自分から 内なる自分にかける愛のある言葉

共依存からの回復

はじめの一歩