ハローマックというのは「株式会社チヨダ」という会社が1985年から2008年までの23年間営業していたおもちゃ屋です。
全国各地にあったので、行ったことがあるという人も多いのではないでしょうか。
チヨダは「東京靴流通センター」「シュープラザ」などを経営している会社で、1936年に「チヨダ靴店」、1977年に「東京靴卸売センター」、1979年に現在の「東京靴流通センター」となりました。
今回は、そのチヨダがかつて経営していたハローマックの歴史について触れていきます。
1985年
そもそも、ハローマックというのは何故出来たのかという話になります。
ハローマックは1980年代前半にあったファミコンブームをきっかけに誕生します。当時はゲーム機のファミリーコンピュータ(ファミコン)が爆発的ヒットを起こしていました。
全国各地に「ファミコンショップ」というゲーム屋が登場し、子どもたちはそこに通っていたものです。
これに目を付けたのが「チヨダ」と「靴のマルトミ」という会社です。この2社は90年代、玩具業界と靴屋業界において10年以上ライバル関係となりますが、今回は「靴のマルトミ」はあまり触れないです。
まず、1985年7月に靴のマルトミが三重県四日市市に「おもちゃのBANBAN」を出店。
この店舗は1985年に6店舗出店しました。
ではチヨダはどうしたかというと、同年12月に「ハローマック」を埼玉県春日部市に出店。住所は「埼玉県春日部市豊町5-13-9」。2010年頃までハローマック当時の建物が残っていました。
2010年のストリートビュー。ハローマック1号店はこの形でした。
(「社長のめしの種」という本でハローマック1号店の写真が載っています。国立国会図書館所蔵。)
それとほぼ同時に出来た店舗が東京都東久留米市の「ハローマック滝山店」。こちらはテナント型です。
さて、ハローマックは当時大量に出店していた東京靴流通センターの不採算店舗(売り上げがよく無い店舗)をリニューアルすることによってハローマックになったわけです。つまり、東京靴流通センターを閉店させ、それをハローマックにする。
実際、1号店の春日部店も東京靴流通センターの不採算店舗でした。
ハローマックの名前の由来は「ハロー+マック」。マックというのは当時のチヨダの社長の名前「舟橋政男」氏のあだ名です。
建物はメルヘンなお城をイメージして作られたもので、実際に洋風の城にあるように凹凸のものがあります。
そしておもちゃ屋を営むならキャラクターを作ろうと考えたわけです。
その結果できたのが…。
マックライオンです。
マックは舟橋氏の名前からですが、ライオンというのは「お城なら王がいるだろう」という理由からです。
しかし人間の王様だと何か違う。だったら「百獣の王」のライオンを選んだのです。
というわけで1985年12月に開店したハローマック。1号店の春日部店は1985年から1989年頃までの営業、2号店の滝山店は1985年から2005年まで営業していました。
1986年
1986年に今のマックライオンが登場します。1985年の開店当時のマックライオンは少し違うものだったので…。
上記左側には1986年5月3日に、茨城県水戸市で開店した水戸笠原店が載っています。この頃には既にハローマックの原型を持っていました。
この頃のチヨダは「3年間で300店舗を出店する」という目標を持っていました。
1987年
「NTT business第455号(1988年2月発行)」によると、1987年12月の地点でのハローマックの店舗数は160店舗。1987年8月地点の売上高は68億1100万円と売り上げもまあまあ良かったとのことです。
また、大阪府に「ハローマック二色浜店」が9月に開店。恐らくここが関西初のハローマックだったと思われます。
1988年
ハローマックのCMが初登場します。実はこの着ぐるみのマックライオンはこのCD1回のみ。
映画「マック」(1988年公開)とのコラボなのですが、これも「ハロー"マック”」とかけているのでしょうか。
1989年
時代は昭和から平成に移ります。
この年にハローマック春日部店が閉店し、「おもちゃのエース」が開業します。おもちゃのエースはチヨダが経営していたおもちゃ屋です。
1990年
この年に「アイドル天使ようこそようこ」というアニメがテレビ東京系列で放送開始されます。
この番組は1990年4月~1991年2月まで放送されました。
この番組はチヨダが「ハローマック」名義でスポンサーに入っており、アニメの中でもしっかりハローマックが出ています。
↑実際に出ている様子。ちなみに「渋谷」という設定です。
その為、アニメでは頻繁にハローマックが出ている場面が登場します。
また、この頃にハローマック1号店の春日部店が「おもちゃのエース」という店名に変わります。
1991年
この年の12月にトイザらスが茨城県に1号店を開店します。ついにトイザらスが日本にやって来ました。
この後1992年に2号店の橿原店、3号店の相模原店、4号店の福岡新宮店とどんどん全国各地に出店していきます。
また、「ジェトロセンサー : 国際ビジネス情報誌 1991年9月号」によるとこの頃のハローマックの店舗数は270店舗でした。
ディスカウントストア(低価格販売。ハローマックは基本定価販売)を作るという計画もされており、ディスカウントストアは「おもちゃのエース」という店名で誕生。1990年頃には既に登場していました。
トイザらスという黒船が来るのに備えていたわけですね。
一方、「季刊輸送展望 秋季(1991年10月発行)」によるとハローマック店舗数は289店舗という情報もありました。
そんなハローマック&エースで安定していたおもちゃ屋チヨダですが、新規で作るものが出ます。
それが「ベビーマック」。後に「ベビーマム」という店名に変わりますが、この店舗は赤ちゃん向けの店舗。
ハローマックが小中学生向けだったのに対し、赤ちゃんにも目線を向けていきます。
↑ベビーマック。
標準売り場面積は120~130坪。5年後には200店舗、年商385億円を目指しました。
そしてベビーマックが50店舗近くに達した時、チヨダにはある作戦を用意していました。
対トイザらス対策です。
トイザらスが1店舗出来たとします。そしたら周りにハローマックか、エースの店舗を開店していきます。
トイザらスの周辺にハローマックを囲むように開店していくのです。
この作戦はどうなるのでしょうか…。
1992年
「おもちゃのハローマック」という曲が使われたCMの登場です。マックライオンがアニメになっています。
さてここでいよいよハローマックが対トイザらスに対して本気を出してきます。
トイザらスが思ったより強かったのです。「ロープライス制度」というのを導入しており、例えばトイザらスでは1000円で売っている商品が別のおもちゃ屋(ハローマックなど)では900円で売ってるというチラシがあったとします。
そのチラシをトイザらスに持っていけば900円で売ってくれる、みたいな制度です。
今でもヤマダ電機などの家電量販店でこのようなことを行っていますが、トイザらスはそれを先取りしたわけですね。
それだったらわざわざハローマックのチラシを持ってトイザらスに行かなくてもよいのでは?と思うかもしれません。
しかしトイザらスは建物の面積が広いのです。
面積が広いということは多くの商品を置くことが出来ます。つまり「ついでにこの商品も見よう」となる確率が高いのです。その分多くの商品を置いているので。
例えばヨーヨーがハローマックで1種類売っているとすれば、トイザらスでは12種類のヨーヨーが売っています。
ハローマックでそれだけ多くの種類を置くとすぐに売り場面積がひっ迫してしまいます。
じゃあどうするかというと…
「ハローマックの店舗を増やす」という策略を考えたのです。
91年で書いた通り、「トイザらスの周りにハローマックを増やす」という作戦を始めるのです。
トイザらスの建物の面積が1000坪あるとします。そしてハローマックは100坪の面積。
そしたら周辺に100坪のハローマックを10店舗作ればよい、という作戦です。
しかし、結局その作戦は行うことはありませんでした。10店舗あったところで一店舗で置けるヨーヨーの数は1種類だけなのですから。1店舗で12種類のヨーヨーが置けるトイザらスに勝てるはずはありません。
(専門店 (498))より
1992年2月地点ではハローマック、エース、ベビーマック3店舗合計の店舗数は347店舗でした。そのうち、19店舗はエースでした。
また、1992年7月出版「実業往来 (481)」にて初めてハローマックのあの写真が登場します。
↑この写真です。初出はこの本なので、少なくともこの写真は1992年より前に撮影されたものですね。今でもハローマックの記事が出るとこの写真が出ているので30年以上ハローマックの代表写真として使われています。
1992年8月地点ではハローマック店舗数は386店舗、ベビーマック16店舗と店舗数を徐々に増やしており、東京靴流通センターも「隣に靴屋が出店しても我々が勝つ」と言っているくらい店舗数を増やしていました。
また、「ハローマック」「東京靴流通センター」「マックハウス」「ベビーマック(ベビーマム)」などを同じ土地、もしくは近くの土地同士で出店するという「チヨダ村」というものを作り始めました。このブログではこのチヨダ村のことを「チヨダトリオ」と言っていたりします。
↑チヨダ村(公式名称)。左から「マックハウス」「ハローマック」「東京靴流通センター」の建物。こちらは埼玉県ですが、同じような感じです。
1992年地点では「勝田(茨城県)」「八王子(東京)」「鈴鹿(三重)」の3つの地域にこのチヨダ村を形成していきました。
1993年
ヤノニュース 1993年12月5日によると19933年2月地点でハローマックの店舗数は全国で432店舗。売上高は550億1500万円。一方靴のマルトミが経営するおもちゃのBANBANは389店舗の売上高575億3900万円。
ハローマックの店舗増加は25%増となっていますが売り上げは17.3%増としかなっておらずいまいちとなっています。
しかし閉店している不採算店舗ハローマックがあったのも事実で、1年間で247店舗を出店し22店舗を閉店しています。
(恐らくこの閉店22店舗に含まれている店舗)
・竜野店
・坂出店
など
全体的に見て閉店率は8.9%です。
この頃になると流石にファミコンで戦えなくなり、おもちゃのBANBANが変わらず勢力を上げ、トイザらスもいる中で苦戦を強いられることとなります。
ファミコン全盛期の頃はドラクエなど爆発的ヒットを出したものもありましたが、この時代に爆発的ヒットを生み出したものは…というものです。
1993年11月12日には日本初のアウトレットモール「リズム」が埼玉県ふじみ野市に開店。ここにハローマックが存在していました。
1994年
大型玩具店「トイザらス」が最大のライバルであるハローマックとおもちゃのBANBAN。当初はお互いライバル同士でしたが、双方ともにトイザらスに対する対策を考えないといけなくなりました。
数年前に出した「トイザらスの周りにハローマック大量出店作戦」はあまり現実的ではないので、どうするべきか…。
トイザらスの戦略は
・1店舗につき1000坪以上(ハローマックは120~130坪程度)
・子供向け商品とりあえずなんでもいいので1万点以上
・コストの節約
などです。
トイザらスは問屋を通さずに直接メーカーから商品を仕入れようとしましたがそれは失敗に終わり、トイザらスでさえ少し厳しい状況となっています。
ハローマックとおもちゃのBANBANはこのままだとトイザらスに勝てないと思った為、全国的に店舗を増やしていき、店舗数で勝負を仕掛けようとしています。
数年前は「トイザらスの周りだけ大量出店」でしたが今は「とりあえず全国にいっぱい出す」というものです。そして値引きも忘れずに。
そうすれば仕入れもコストダウン出来ますし、出典規模の拡大で販売力を高めることが出来ます。
なんならおもちゃのBANBANは離島(佐渡島、淡路島、種子島、宮古島など)にも出店していましたし、その店舗の量は物凄いです。
チヨダも靴のマルトミも玩具店一本でやっているわけではありません。双方ともに本業は靴屋なのですが、この2社、とにかくやっていることが同じだったのです。
【玩具部門】
(チヨダ) (靴のマルトミ)
ハローマック⇔おもちゃのBANBAN
【ジーンズ部門】
マックハウス⇔フロムU・S・A
【カバン部門】
バッグランド⇔ザ・バッグ
【靴部門】
東京靴流通センター⇔(地名)靴流通センターor靴のマルトミ
となっています。おもちゃ屋以外でもこれだけのライバル関係があったわけです。
また、この頃「カウボーイ」というスーパーマーケットがモール型(1つの建物に複数のテナントを入れる)店舗を開発し始めました。
今のイオンモールなどとは少し違うのですが…。
広い面積に1階建てなどの建物を大きく置き、そこにディスカウントショップと広い駐車場を置きます。これを「パワーセンター」と言います。
そのカウボーイ店舗はおもちゃ屋をテナントに入れるためにハローマックを利用しています。
(カウボーイ苫小牧店、上越ウイング店、三本木店など)
1995年
ハローマック事業が始まって10年のこの年。1995年7月に「戦略経営者」という本である記事が登場します。
それは株式会社トスミックという会社。
この会社は1995年創立というわけではないのですが、1995年の本に紹介されていたので記入します。
トスミックは問屋を生き残らせるために作られたもの。実際トスミックは問屋会社だったのですが、販売するのに子会社を設立。それが「カテゴリーボックス」という会社です。
カテゴリーボックス内で得た情報を親会社のトスミック内の問屋業務で戦術的に使えないかと考えたのです。
カテゴリーボックス直営の店舗を作り、そこにPOSシステムを導入することによって消費者のニーズをリアルタイムで把握。
そうすることで人気商品や売れている商品をいち早く自社内に仕入することができ、売れていない商品に対しての対策もすぐに組むことが出来ます。
カテゴリーボックスが運営していた店舗としては、
・おもちゃのエース:8店舗(関東)
・ギャロップスター:11店舗(中国・四国)
・ハローマック:4店舗
となります。
ハローマックはフランチャイズ形式(ここではチヨダがカテゴリーボックスに『ハローマック』の名義を貸して運営させること)を採用していたので、このようなことが出来たわけです。
実際ハローマックが閉店してからギャロップスターというおもちゃ屋になったところもあります。広島県の廿日市店や岡山県の倉敷市の店舗などがギャロップスターになっています。
長らくギャロップスターは謎に包まれた店舗ですが、ついにここで解決しました。
(2024/9/5追記)
篠田トーイ
↓
トミーが資本に入ったので「トスミック」(記事内で触れているもの)
↓別会社「浅草玩具」と合併し「インクス」と言う会社が誕生するが、インクスは倒産しその中にあったトミー部門はユーエースへ移行。また、インクスの関連会社(子会社かどうかは不明)に「カテゴリーボックス」があったためカテゴリーボックスも同時期に倒産?
↓
タカラ系列の「大和玩具」「服部玩具」がユーエースと合併して社名変更「トイズユニオン」
↓
ハピネットに譲渡(ただし自社玩具の直販部門だけ切り離してタカラトミーマーケティングとして残す)
という流れだったとのことです…。
1996年
は特に何もありませんでした。
1997年
トイザらスが郊外出店を終え、横浜市など都心に出店をし始めたのがこの年。売上は700億円を超え玩具業界ではトップに。このままいくと2000年には100店舗を突破するだろうと言われていました。(実際2000年にはとしまえん遊園地の中にトイザらスを出店しており、それが100店舗目となっています。ちなみに50店舗目は神奈川県厚木市にあった「厚木店」。)
ハローマックの売上は590億円、おもちゃのBANBANは440億円の売上となっていました。
しかしハローマックもおもちゃのBANBANも出店しまくった結果、店舗数に伸び悩むところがありました。
1993年2月:432店舗
1994年2月:477店舗
1995年2月:481店舗
1996年2月:476店舗
1997年2月:468店舗
と少しずつ減っているのも事実です。
そこでハローマックはリニューアルをすることになります。
まず、ハローマックのキャラクター「マックライオン」が変わります。
から、
となります。
リニューアル後のマックライオンは現在でも使われており、2019年のマックライオン復活後以降は「こども商品券」などに居たりします。
他にもこの頃にはクリスマスシーズンにCMの放送。
1997年のクリスマスのCM。マックライオンが新しくなっています。
これ以降ハローマックのCMは「サンタクロース」を使うことになります。
そして「TOY&HOBBYハローマック」という店舗が登場します。この店舗は普通のハローマックと同じではあるのですが、マックライオンが新しいマックライオンであったり、建物が緑色になっていたりします。
ハローマックといえば「メルヘンなお城の形」の建物なのですが、これ以降新規オープンする店舗は豆腐みたいに長方形の形をしている店舗だったり、学校の体育館みたいな形をしている店舗になったりします。
また、一部ハローマックはTOY&HOBBYハローマックにリニューアルされます(東京都のめじろ台店、福島県の須賀川店、鳥取県の鳥取店など)。
↑ハローマック高山店。緑色の塗装はハローマックの名残です。
ハローマックはピンクと白色でしたが、TOY&HOBBYハローマックは緑色です。
1998年
長野県諏訪市に「諏訪ステーションパーク」が1月31日に開店します。これはパワーセンターで、国道沿いに家電量販店やホームセンター、ダイエーやゲームセンターなどを同じ土地に出店しました。
その中の一つにハローマックがありました。
このハローマックももちろんTOY&HOBBYハローマックで、ハローマックにしては結構大きめの店舗でした。ちなみにこのハローマックは2008年7月27日の全店舗閉店まで残った店舗ではないかと考えられます。
↑真ん中にあるジムが元ハローマック諏訪店です。さりげなくシュープラザ(同じチヨダの会社)も置いています。
1999年
12月1日に「パジャマトリッパー」が発売。
作詞・作曲:樋口了一、歌:濱田マリのこの曲はハローマックの代表曲となります。
CMでも使われています。
2000年
西暦2000年になるとチヨダもついにインターネットに乗り込みます。
ウェブ上にホームページを作ります。
ここで全国の店舗の開店情報をどんどんと書いていくのです。なおこの頃一番多い出店店舗はシュープラザでした。
しかし、ここから先はハローマックの店舗の新規開店はなく(リニューアルはある)、どんどん店舗数が減っていきます…。
また、この年に「靴のマルトミ」は倒産。おもちゃのBANBANは個人店になったり、靴屋になったりといろいろな経緯を辿ることになります。
2001年
3月23日に「ハローマックオリジナルトミカ」が発売されます。発売されたのは「トヨタ bB」と「ホンダS2000」。当時の低下は500円でした。この頃のトミカは1台360円なので、少し高めの設定。
それ以外にもチョロQや中学生Verのリカちゃんなど、多くのハローマック限定品が発売されます。
また、最後のハローマックのCMが作られました。
2003年
チヨダの当時の開店情報によるとこの2003年8月9日のハローマック宇部バイパス店が最後の店舗となります。
と言いますが実はこれも「TOY&HOBBYハローマック」のリニューアル店舗。その下にあるハローマック鳥取店もリニューアルで、リニューアル前は「鳥取安長店」という店名でした。
2005年
2月12日にハローマック2号店「滝山店(東京都東久留米市)」が閉店。その後2009年頃まで「ハローマック」のロゴが残っていました。
また、この頃大阪府からハローマックが消えました。
2007年
7月に北海道最後の店舗「網走新町店(網走市)」が閉店。
2008年
2月:ハローマック残り店舗数が36店舗になります。
2月24日:東北地方最後のハローマック「千石バイパス店(福島県)」が閉店。これは後に「ポプラ館」というところを経由して現在はおもちゃや本舗として経営されています。
5月:中国地方最後のハローマック「出雲店(島根県)」が閉店。島根県は47都道府県中唯一ハローマックの建物が1店舗も残っていないところ(すべて解体)だったりします。
2008年6月:近畿地方のハローマック「東舞鶴店(京都府)」「岩出店(和歌山県)」が閉店。また、四国地方最後のハローマック「徳島沖浜店(徳島県)」が閉店。これで1店舗を除いて西日本からハローマックは全滅。
そして2008年7月…。
「楽々園店(広島県)」「諏訪店(長野県)」「羽村店(東京都)」の3店舗が閉店。
この3店舗の閉店を経て…
ハローマック、全店舗閉店。23年間に及ぶハローマックの歴史は幕を閉じました。
2009年
チヨダは玩具事業を採算。玩具事業から撤退。
ハローマックの時代は終わり、これからは靴とジーンズを売るのに専念するチヨダ。ハローマックのかつての名残は沿革のみ残ります。
その後2013年に1976年からずっと社長に就任していた舟橋政男氏が社長を降り名誉会長に。社長は息子へ移り、その後も社長が変わります。
が…。
それは突然のことでした。
2018年
[商願2018-152851]
— 商標速報bot (@trademark_bot) January 8, 2019
商標:[画像] /
出願人:株式会社チヨダ /
出願日:2018年12月13日 /
区分:25(被服ほか),35(被服の小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供ほか) pic.twitter.com/3rbwPSmUf7
12月13日、チヨダが突如「マックライオン」を商標登録したのです。
上記ツイートは商標登録のもので、2代目マックライオンの商標登録ですが、初代マックライオンもしっかりと商標登録されています。
これはとても話題になったもので、ハローマックが復活するのではなどと言われていました。
これの答え合わせは2019年にあります。
2019年
この年の6月13日から6月16日までの4日間で開催された「東京おもちゃショー」。ここのブースにチヨダが「ハローマック」名義で出展したのです。
ハローマックの塔のパネルに、マックライオンのガチャガチャ。
缶バッジ、キーホルダーの配布。そしてトートバッグに「ハローマック&ベビーマム」の当時の袋が配布されました。
さらに、元ハローマックの東京靴流通センターを掲載するという「なつかしのハローマックの店舗」をチヨダ公式が公開。
ハローマックの居抜きには東京靴流通センターがよく入ると言いますが、それは同じ会社が経営しているから。このサイトはそれの答え合わせなわけです。
ちなみにこの「ヒロのハローマック探訪記」が始まったのもこの2019年ですし、このブログが開設されたのも2019年です。
その後チヨダは「マックライオンのトイレットペーパー」と「マックライオンのブランケット」をノベルティとして配布。
ここまで大規模の物はこの2回で終わりですが、その後も「ぬりえ」や「こども商品券」などでマックライオンが度々出ています。
チヨダもこの頃になると大分と変わったらしく、アニメ「ゆるキャン△」とチヨダ系列の店がコラボしたりとやっています。
2021年3月には「A列車で行こう はじまる観光計画」というゲームソフトが発売。
その中に出てくる建物の中に「おもちゃ屋」があるのですが、それがハローマックのパロディだったりします。
とこのようにずっと続いていたのですが…それは突然のことでした。
2024年
5月8日。
これは鉄道模型を発売する「TOMIX」の新作発表の写真一覧です。そこの右下に…。
なんかありますね。
ハローマックと、ハローマック居抜きの東京靴流通センターです。
なんと建物の模型が出てしまったのです。LEGOで再現している人などは見たことあるのですが、とうとうハローマックもここまで来た…。
詳しいことはこちらの記事に書いていますのでこちらをご参照ください。
これだけでも予約必須ですね。
さらに追い打ちをかけるように6月25日に…。
ハローマックのガチャガチャが10月に発売されることも発表されました。
しかもマックライオンは初代ベース。車に乗っているものと、マックライオン単独の物。さらにはこちらにもハローマックの建物と東京靴流通センター居抜きのハローマックまで。
ハローマックのロゴまでしっかり使われていて、初代マックライオンも忘れられていないんだなと感じました。
ここ5年間でハローマックは劇的な復活を遂げています。「ハローマックの店舗の復活」をするつもりはないとチヨダ側が言っていますが、ハローマックが愛されていることはチヨダ側もわかっているので、このような商品をどんどん出しているのでしょう。
ハローマックは今でも人気ですし、愛されているのです。