※この記事ではトイザらスの歴史を昔のトイザらスの建物やCMを添えながら書いています。省略している部分もあります。ご了承ください。
※公式表記では日本トイザらスを「トイザらス」、アメリカのトイザラスを「トイザラス」と「ら」の部分をひらがなにするかカタカナにするかで分けていますが、ここでは表記を全て「トイザらス」表記にしています。
※間違っているところもあるかもしれません。ご了承ください。
トイザらス。
それは、世界中の子どもたちの夢と希望が詰まった、おもちゃのまちである・・・。
トイザらスと言えば日本でもトップレベルで知られているおもちゃ屋です。
現在日本では島根県と山梨県以外の全国45都道府県にあり、建物を持っていたり、テナントとして入っていたり様々な形態で店を経営しています。
そんなトイザらスが日本にオープンしたのは1991年12月20日。
茨城県の荒川沖店(1991/12/20~2008/8/31)が第1号店として開店しました。
↑日本トイザらス1号店「荒川沖店」
では、日本にトイザらスが来る前はどのような感じだったのでしょうか・・・?
【1940~50年代】
1948年、チャールズ・ラザラス(以下敬称略)という方がアメリカに住んでいました。
当時25歳だったラザラスは、戦後にベビーブームがあったのを受け、ワシントンD.C.に子供用家具店を作りました。
その名も「Children’s Bargain Town」。これがトイザらスの前身となる店でした。
↑当時の店。
この頃はラザラスが一人で店を経営しており、お金の管理や商品調達を全て一人で切り盛りしていました。
この地点でも十分にすごいとは思うのですが、ラザラスはすでにこの店で販売していた「ベビーベッド」などの家具に加えて、ベビー用品や子供向けおもちゃを販売するようになりました。
ラザラスはこの時から「子供がおもちゃを乱暴に扱うと壊れる」ということや「おもちゃには流行がある」ということをすでにわかっていました。
ラザラスは「再来店」という概念をすでに持っていました。
1957年6月、個人店だった家具店からスーパーマーケット型の店にするために「客が自ら商品を選びレジで購入する」という仕組みを導入しました。
ちなみに同年には日本で同じ仕組みを考えた店「ダイエー」が誕生しています。
さらに、「おもちゃを安価で売る」という考えもあったことにより、格安でおもちゃを提供することが出来ました。
2号店の開店に伴い、これまでの「Children’s Bargain Town」という店名から「Toys "R" Us」という店名に変更しました。
店名の由来は自身の名前「チャールズ・ラザラス」と「“Toys are us.”(おもちゃといえば私たち)」をかけたものとなっています。
「are」は「R」と同じ読みをするので、そこをかけた、ということです。
そしてこの時、トイザらスは「世界初の大型おもちゃ店」となりました。
↑恐らく初期の店舗。
↑別店舗。よく見ると「Toys "R" Us」の文字が左側に見えます。
この時「R」という字を反対にさせた「Я」というものにしましたが、これは「子供は『R』という字を反対に書きやすい。そして反対にした方がインパクトがあって記憶に残りやすいだろう」という考えをラザラスが持っていたからです。
実際、このトイザらスのRを反対にさせた「Я」というのが入った店名は、現在でも正式名称として使われています。
スーパーの食材品コーナーみたいに、おもちゃが陳列している様子は当時の人から見たらとても斬新だったそうです。
【1960年代】
1960年2月、トイザらスのマスコットキャラクター「ジェフリー(英語名:Geoffrey)」が誕生しました。
現在は2007年から使われている6代目ジェフリーですが、この頃に誕生した、ということになります。
↑歴代ジェフリー。
同じ時期、現在でもCMで使われている「I Don’t Want to Grow Up, I’m a Toys“R”Us Kid(大人になんてなりたくない、僕らはトイザらスキッズ)」という文章も誕生しました。
ちなみにこの文章が入っているCMソングはトイザらスに行くといつでも聞けます。
その後、60年代は広告を出したりして順調に経営していきました。
↑60年代に建てられたであろうトイザらスの店舗。凹凸があり、ジェフリーがいます。
そしてトイザらスは1990年代頃までこの形の建物となっています。オールドトイザらス。
↑1969年のトイザらスの広告。初代ジェフリーが汽車に乗っています。
【1970年代】
1972年、「ジェフリー」がいるトイザらスのCMが誕生します。
調べた限りだとYouTubeにあがっているトイザらス最古のCMはこのCMでした。
1975年、2代目ジェフリーが誕生します。
それに伴い、広告も一新。2代目ジェフリーが使われたものとなりました。
1976年には、ジェフリーを使ったアニメCMも誕生します。
このCMはアメリカ各地で放送されており、最後のトイザらスの建物が写っているところが何も書かれていない汎用型だったり、新店舗開店時の店名が書かれていたりしました。
↑70年代の店舗。1975年より後に開店した店舗は2代目ジェフリーが使われていました。
そしてトイザらスの成長は右肩上がりとなり、ついに1978年に公開会社(=株式会社)となりました。
【1980年代】
この頃になるとトイザらスも一気に変わります。
アニメを使ったCMなどは変わらずに作っていたのですが、1983年についに海外進出します。
最初に進出した国はカナダ。そこからイギリスやドイツなどのヨーロッパにも進出していきました。
↑1989年のイギリスのトイザらスのCM。2009年にリメイク版が作られました。
↑2009年リメイク版。よく見ると最後のトイザらスの建物がオールドトイザらスではなく新しい建物になっています。
同年、トイザらスは新店舗である「Kids "R" Us」の展開を始めました。
この店では子供向け衣料服店であり、こちらも成功を収めるかと思われましたが、2003年に全店舗閉店しました。
しかし、今でもトイザらスは子供向けの服を売っています。
↑「Kids "R" Us」の廃墟。奥にはトイザらスの店舗が見えます。
1986年にはトイザらスのロゴも誕生しました。
1986年以前にも普通にこのロゴは使われていたのですが、公式では1986年から、という扱いになっています。
2005年までの新規店舗で使われていました。
そして1988年、3代目ジェフリーが登場します。
このジェフリーからは日本のトイザらスでも居たので見たことがある、という方もおられるのではないでしょうか。
アメリカでは新ジェフリーが誕生した頃、日本では「藤田田」という方がトイザらスに目を向けました。
この方は日本にマクドナルドを持ってきた方でもあり、アメリカの店を日本に持ってくる計画第2弾を練っていました。
そのために1989年に「日本トイザらス株式会社」が設立されました。
【1990年代】
1991年12月20日に日本トイザらス1号店「荒川沖店」が開業し、続いて2号店である奈良県の橿原店(1992/01/08~2004/02)が開店しました。
2号店のオープニングセレモニーでは、テープカットを当時のアメリカ大統領、ジョージ・H・W・ブッシュ氏が行いました。
当初は1月4日開店予定でしたが、何しろアメリカの大統領が来るという話で警備はどうするの問題が発生しました。
そのため、4日遅れの開店となったそうです。
1994年にはスタジオアリスが併設し、ほぼ全ての日本トイザらスにスタジオアリスが併設されています。
ちなみに、日本トイザらスは
1号店:荒川沖店(1991/12/20~2008/10/31)
2号店:橿原店(1992/01/08~2004)
3号店:相模原店(1992/3/31~2012/3/18)
4号店:福岡新宮店(1992/04~2004/02)
と開店し続けています。
ソース:倉庫(94)
この頃のアメリカのトイザらスの新規店舗は、これまでの凹凸の付いた店舗ではなく、長方形の店舗になっています。
アメリカでも日本でも共通してこの形です。
海外進出もしっかり行っており、オーストラリアやスウェーデンで展開していきました。
トイザらスが世界進出してる中、アメリカではKids "R" Usに次ぐ新形態店舗を出そうとしていました。
「ベビーザラス」です。
1996年4月にニューヨーク州に1号店が開店しました。
乳児向けブランドや服、おもちゃなど、今まで「幼児」を中心に扱ってきたトイザらスとは打って変わって乳児に目を付けた店です。
日本でも2002年12月に千葉県の新浦安店がベビーザラス1号店として開店しました。
1998年にはトイザらスのホームページが開設し、オンラインショッピング(=通販)を始め、2000年には通販サイト「Amazon」との連携を始めました(後述しますが、このサイトは2018年に閉じられます)。
日本語版のホームページは1999年に開設されましたが、通販が始まったのは2001年のことでした。
また、1999年にはトイザらスのCMが日本でも放送されるようになりました。
「ずっとトイザらスキッズ」という文章は日本でもしっかりと使われています。
同年、4代目ジェフリーも誕生しました。
2007年に現在の6代目ジェフリーになるまで使われたジェフリーであるため(5代目ジェフリーは日本では使われなかったので)、結構日本でもなじみ深いものとなっています。
ちなみにアメリカには1999年にトイザらス自社ブランド「Imaginarium」というのを経営し始めましたが、2004年に全店舗閉店しました。
【2000年代】
2000年になると、トイザらスのロゴが新しくなりました。
2000年から2006年まで使われたロゴです。
「スターロゴ」と呼ばれるこのロゴは、トイザらスの代名詞にもなりました。
↑スターロゴと4代目ジェフリーがいる光景。現在は改装されています。
90年代から2000年代にかけ、トイザらスは日本に大量出店していきました。
黒船のような大きな影響があったため、日本各地にあった「ハローマック」というおもちゃ屋の大量閉店理由の一つともされています。
一方2000年には東京都にトイザらスとしまえん店(2000/11/03~2020/08/31)が日本国内100号店として開店したり、2007年4月にはトイザらスとベビーザラスの併設店舗が愛知県の岡崎市(2007/04~)に開店しました。
2001年7月にはニューヨークシティのタイムズスクエアに3500万ドルをかけトイザらスの旗艦店をオープンさせました。
↑2012年のニューヨークのトイザラス。
ここではバービーの人間サイズのドリームハウスやジュラシックパークのテーマパーク、レゴやオリジナル観覧車など様々なテーマがある超大型店舗でした。
この店舗が開店したことにより、5代目ジェフリーが誕生しました。
実写です。唯一喋るジェフリーです(声はジム・ハンクスという方が演じました)。
日本ではこのジェフリーが使われることがなく、ずっと4代目ジェフリーが使われていました。
アメリカでもこの5代目ジェフリーを使って店舗を開店させることはせず、CMなどでだけ使われたそうです。
↑2002年のCM。「パワパフガールズ」とのコラボCMです。実写版ジェフリーがいます。
↑2003年10月のCM。
2005年にはベインキャピタル・パートナーズ、コールスバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)、ボルネード・リアルティ・トラストの3社がトイザらスを66億ドルで買収し、トイザらスは非公開会社となりました。
これによりトイザらスは個人所有企業になりました。
1年後の2006年にはFAOシュワルツというおもちゃ屋を買収し、2017年までFAOシュワルツブランドの商品を2017年まで売り続けました。
2007年にはトイザらスに大幅なリニューアルが行われ、ロゴとジェフリーが変わりました。
↑現在まで使われているロゴ。ベビーザラスもロゴが現在のものになりました。
↑現在まで使われている6代目ジェフリー。
こうしてトイザらスが現代風になりましたが、まだまだ新店舗を出し続けます。
2009年には「トイザらスエクスプレス」というものをアメリカとカナダに90店舗出店しました。
これは普通のトイザラスとは違い、出前出店みたいな感じに営業し、主にクリスマスシーズンに出店していました。
日本でも2011年から2014年まで同じような形態で営業していた時期があり、その中でも茨城県の「ひたちなか店」は現在でもトイザらスエクスプレスとして恒常出店しています。
アメリカでも604店舗がトイザらスエクスプレスとして経営していましたが、全て2018年に閉店しました。
↑2009年のトイザらスのCM(アメリカ)。
【2010年代】
2010年、日本トイザらスはトイザラス・インク(アメリカのトイザらスを経営している会社)の子会社となります。
ですが、アメリカのトイザらスは段々と売り上げが悪くなっていきました。
日本での売り上げは安定していましたが、アメリカはそうでもなかったみたいです。
2012年にはトイザらスアプリ(日本)がリリースされ、安定はしていますが・・・。
2013年12月にアメリカの全トイザらスで87時間連続で営業するように命じ(クリスマスシーズンに備えるため)、旗艦店であるニューヨークの店舗では12月1日から24日まで24時間営業を続けました。
2014年、アメリカのトイザらスは「TRUトランスフォーメーション」戦略を発表しました。
この戦略は店舗の整理整頓やカスタマーサービスの向上、価格戦略やプロモーションの明確化などを実施したものです。
2015年には「ToyLab」という店をオープンさせ、おもちゃを試しに遊んでみる、といったコーナーを設けたりしていました。
しかし、2017年にトイザラス・インク(トイザらスの親会社)は破産申請を行いました。
赤字が連続し、限界に達したのです。
2018年3月15日、破産することを承認されたトイザラス・インクは同年3月23日から閉店に向けての販売を始めました。
オンラインストアは同年3月29日に閉鎖され、「閉店します」という情報が書かれたサイトになりました。
そしてトイザらスの閉店を追うかのように、創業者のラザラスは2018年3月22日に94歳で亡くなりました。
この時、アメリカ国内で735店舗、のべ3万3000人の従業員がいたそうです。
↑閉店する、ということが書かれているページ。「Play on」には「遊び続ける」という意味があるので、「トイザラスが無くなってもおもちゃで遊び続けてほしい」という意味が込められたのかもしれません。
同年6月29日、アメリカのトイザらスは残っていた最後の200店舗を全て閉店しました。
閉店する際、誰かが100万ドル分のおもちゃをトイザらスから購入し、慈善団体に寄付されたそうです。
では、世界のトイザらスはどうなったのでしょうか。
一方アメリカと一緒に全店舗閉鎖すると言われたカナダの店舗ですが、こちらは「MGAエンターテイメント」という企業に買収されたので、現在でも営業を続けています。
同年3月14日にはイギリスのトイザらスも影響を受けて「6週間以内に全て閉店する」と言いました。実際に同年4月24日に全店舗閉店しました。
しかし、ドイツ、オーストリア、スイス、トイザらスヨーロッパ本社(ドイツのケルンにありました)はヨーロッパ最大級のおもちゃ屋「スミス」によって買収されました。
フランスのトイザらスは2019年より「PicWicToys」というところによって経営されています。
オーストラリアでは2018年8月5日に全店舗が閉店しました。
しかし、オンラインショップとして復活しているため、現在はオンラインショップ限定での経営です。
アフリカや中東では元から独立した法人なので、影響を受けることはありませんでした。
アジアでのトイザらスは全く別の法人で経営されているため影響はほぼありませんでしたが、実際影響を受けかけたのは事実です。
「トイザラス・アジア」が売却されることにより、約1000億円で買収されることが決まりました。
この地点で85%の株をトイザらスが持っていましたが、79%がアメリカの金融機関などが、6%は香港の企業が取得しました。
(売却されるということは「代わりに経営してくれる」ということなので、経営は続けられるということなのです。)
では日本のトイザらスは大丈夫だったのでしょうか。
実は日本トイザらスは2017年4月にトイザラス・アジアのグループに加入しており、影響を受けることはありませんでした。
実際今でもリニューアルや新店舗のオープンなどで、衰えることを知りません。
さて、ここで終わり・・・かと思いきや、そうではないのです。
2019年1月、アメリカのトイザラスで働いていた従業員たちが一丸となり新会社を設立しました。
その際、「トイザラス」というブランドを引き継いだのです。
実際ニュージャージー州とテキサス州に新店舗を開店させました。
↑再オープンしたトイザらス。
これにより、トイザらス復活の兆しが見えてきました。
【2020年代】
2020年にはアマゾンとの提携をして再びオンラインショップを始めました。
これで再びトイザらスに光が差した・・・と思われたのですが。
新型コロナウイルスの影響で赤字になり、2021年1月に実店舗2店舗が閉店しました。
ですが、会社側としては再び出店することをすでに計画しており、「集客が見込まれる場所で店舗戦略をする」と言っています。
実際、400店舗のデパートで店舗をオープンさせる計画も持っており、2021年12月26日にはニュージャージー州のアメリカンドリームモールに2階建ての店舗もオープンしました。
知名度が高い「トイザらス」1つにも、様々な歴史があり、様々な時代があったのです。