映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-ク  歌謡曲だよ人生は! -8ページ目

 

騙された~

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騙された~
元ビ-トルズのポ-ルマッカ-ト二-が、名古屋公演に向け
 
116(火)13時着の新幹線で来る!
 
なんて情報を聞いた為、昼休みを利用して名古屋駅に向かった。
情報をくれた友人も一緒に待機。
しかしそれらしい気配もない。
友人も人から聞いたとの事で、少し怪しい気がしてきた。
 
あのポ-ルマッカ-ト二-が来るのに、マスコミもファンもいないなんて変だ。
昼休みが終わり自分は職場に戻ったが、会社を休んできた友人はそのまま駅で待機。
結局、夕方になってもポ-ルマッカ-ト二-は現れなかった。
 
次の日、また友人から連絡が入り、7日(水)1940分の新幹線でポ-ルマッカ-ト二-が来るらしいとの事。
 
前日騙されたばかりだが、仕事を早めに切りあげ駅へ向かった。
駅の南口には黒色高級車が4台待機し、警察官も数名いる。
 
今度は間違いない!
 
改札を出た所には、サインを貰うため色紙やレコ-ドを持ったファンがいっぱい。
自分もサインが欲しいので、ここにいたら無理だと思い入場券を購入し駅ホ-ムへ。
ホ-ムに着くと、いかにもザ・ガ-ドマン!と言う人達が待機。
 
ガ-ドマンではなく、ザ・ガ-ドマンだ。
 
ホームにはプラカ-ドや色紙、写真集にサインを貰おうとマジックを手にしたファンもいたが、改札前よりはるかにファンは少ない。
 
 
ついに新幹線が到着。緊張の瞬間だ!
 
しかし、一般人がゾロゾロと普通に降りてきた。
乗客たちは、ホ-ムの異様な雰囲気に 何事?と言う顔してキョロキョロしている。
まさか自分たちが乗ってた車両に、ポ-ルマッカ-ト二-も乗ってたとは想像しなかったのだろう。
と、その瞬間、ポ-ルが普通に現れた!ファン達がかけよる。
 
何も知らない通行人たちが何?誰?と聞いてきたので、
 
ポ-ルマッカ-ト二-だよと教えたら、振り返り悲鳴。
 
ポール!ポ-ルと年甲斐もなく叫んだ!ポ-ルも何か言っていた・・・・・
 
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ポールはス-パ-スタ-にも関わらず、丁寧にファンに対応。
ホ-ムで待機して正解でした。
改札前では、警察官も出動し大騒ぎになっていたので近くにすら寄れない状況だ。
翌日、コンサ-ト後にポ-ルが宿泊するホテルへ。
ロビ-で待機していたらホテルマンに声をかけられ、
 
宿泊客でなければ出て行って下さい!
 
と言われ追い出された。
暫くしたらポ-ルを乗せたバスが到着。
 
とても近くには寄れない。
しかし、ポ-ルマッカ-ト二-と同じ空気を近くで吸ってるだけで満足だ。
 
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と言う事で、話は変わり1973年の紅白歌合戦へ。
 
この年の紅白歌合戦は、どちらかと言うと歌謡曲がメインのイメ-ジです。
 
小柳 ルミ子、森 昌子、由紀 さおり、 ちあき なおみ、布施 明、森 進一、五木 ひろし  など。
しかし印象に残る歌が多く、とても楽しめる紅白だと思う。
個人的には、てんとう虫のサンバ(チェリッシュ) 恋する夏の日(天地真理) 街の灯り(堺正章)
学生街の喫茶店(ガロ) 危険なふたり(沢田研二) が印象に残っている。
 
最近、ユ-チュ-ブに載せている 「紅白歌合戦」 のコメントが増えてきた。
みなさん、
 
今の紅白は・・・・
昔の紅白はよかった!
 
との意見が多く共感する部分もあるので、すべて返信しています。
 
今の歌がイマイチと言うより、歌番組が少ないので聴く機会がなくて、いきなり紅白歌合戦で聴く歌が多いので残念である。
今の歌でも、良い曲はたくさんあると思う。
 
レコ-ド大賞も同じで、3年前の大賞は何だっけ?状態である。
 
ただ、こちらが歳を取ってついていけないだけのような気もするが、お願いだからタイトルだけはレコ-ド大賞のままにして欲しい。
 
日本CD大賞になったら、ますます馴染みがなくなりそうだ。
ユーチュ-ブには、昭和38年~載せていて今回が昭和48年。
早く時代に追いつかないと平成が終わってしまう。
 
           
 
 
 
 
 

<当時の映像>

 

 

 

 

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スーパナイト24 
「ムッシュル-ム・マガジン」
 
1988年、名古屋地区で放送された伝説のト-ク&歌番組。
 
伝説と言っても自分が言ってるだけで、当時は深夜1時からの生放送に加え、家庭用VTRが一般的に普及する前だった為、一部のマニアしか観ていなかったと思う。
 
内容は、タイトルそのまま 「ムッシュかまやつ」 が司会で、毎週元GSメンバ-をゲストに迎え、今だから話せる当時の裏話、また最後にはゲストも参加し、ライブ・セッションをするト-ク&歌番組であった。  
 
 
   
当時、番組撮影で使われていたライブハウス 「アポロシアタ-」 は、現在は同じ場所で 「アポロベ-ス」 と名前を変えてライブファンの聖地として愛されています。
 
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ムッシュル-ム・マガジンは、かまやつひろし司会で全14回放送されましたが、ゲストが素晴らしかった。
 
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余談だが、すぐ近くのテレビ局で生放送番組  『パロパロエブリディ』  と言う番組が放送されており、一般道路の路上でゲストの歌手が歌うと言うコ-ナ-があり、友人が小出弘美のファンだったので、何度か付き合いで行きました。
 
 
『パロパロエブリディ』 で思い出深いのが、トッポこと加橋かつみが 「帰らない」 を路上で熱唱した事。
目の前で、あのトッポが歌っているのに、自転車が横切ったり音楽に興味なさそうな高校生が素通りしていく中、自分は小出弘美を見るフリをして歌を必死に聴いていました。
ある時は、三好鉄生と言う歌手が ”とても良い曲なので聴いてください!” と 「涙をふいて」 を熱唱。
初めて聴いた曲だったが、なかなか良い歌だったので 
 
”良い歌だから、きっと売れますよ” 
 
と、ついつい本人に言ったら、握手を求められた。
半分、冗談だったが本当に売れてしまいレコ-ドを買いました。
 
 
「ムッシュル-ム・マガジン」の14回放送分のゲスト
1回   大口ひろし (ザ・テンプタ-ズ)
2回   鳥塚茂樹 (ザ・ワイルドワンズ)
3回   加橋かつみ(ザ・タイガ-ス)
4回  小松久(ヴィレッジ・シンガ-ス)
5回   ジャッキ-吉川(ブルーコメッツ)
6回   アイ高野 (ザ・カーナビ-ツ)
7回   大場吉雄 (パープル・シャドウズ)
8回   ミッキ-吉野(ゴ-ルデンカップス)
9回   真木ひでと (オックス)
10回 渡辺昌宏 (ザ・サベ-ジ)
11回 沖津久幸 (ザ・ジャガ-ズ)
12回 井上正 (寺内タケシとバニ-ズ)
13回 笹井一臣 (ヴィレッジ・シンガ-ス)
14回 デ-モン小暮
 
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大口ひろし 
(ザ・テンプタ-ズ)
「神様お願い!」 この服は嫌だった。イトウハルって人が作ったんだけど、今の二コルなんだよね~
 
鳥塚茂樹 
(ザ・ワイルドワンズ)
ある時、タイガ-スとワイルドワンズ、そして伊東きよ子とコンサ-トやる事があって、伊東きよ子にファンが帰れ~なんて感じで可哀そうだった。
 
加橋かつみ 
(ザ・タイガ-ス)
「君だけに愛を」 のジャケを見て、これ六本木キャンディの隣の骨董屋で撮影したんだよねぇ、十二番で。
 
ジャッキ-吉川
(ブルーコメッツ)
スパイダ-スはブル-コメッツを抜けなかった、だって田辺昭知のドラムが下手だったからね。
 
アイ高野
(ザ・カーナビ-ツ)
お前のすべて~~と言うポ-ズは、昔 ”ジョ-ク” と言う踊りがあって、そこから取ったの。
 
ミッキ-吉野 
(ゴ-ルデン・カップス)
14歳の時、かまやつさんと堯之さんにサインもらったんですよ。スパイダ-スの越天楽ゴ-ゴ-のレコ-ド持ってます。
 
真木ひでと 
(オックス)
「ガ-ルフレンド」 の時のタイツが凄く嫌でね、前が目立たないように5人とも、女性用のガ-ドルを下に履いてたんですよ。
 
こんな感じでお酒の勢いもあり、言いたい放題の内容でした。
 
司会のかまやつひろしが、客席をまわりGSに関するクイズをしたりする場面もあったり、ジャンケンで勝ったらサイン入りボトルプレゼントなんて企画もありました。 
 
 
番組内では毎週 「GS HIT5」 と言うコ-ナ-があり、GSのヒット曲をゲストを交えて、ムッシュかまやつが思い出などを語るのですが、なぜかスパイダ-スの曲が1位になる事が多かった。
 
 
最後はゲストを交え、ライブ!
今思えば、素晴らしい番組だったと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
リンド&リンダ-ス
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関西地区在住のOさんより、元リンド&リンダ-スのドラム担当である 「浜田藤丸」 氏が亡くなってしまったと連絡がありました。
 
浜田藤丸氏は、「銀の鎖」 がヒットしている頃に、リンド&リンダ-スにドラムとして加入。
東京では、ザ・タイガ-スとザ・ナポレオンと同じ 「目黒ハイツ」 で合宿生活していました。
 
 
ザ・ナポレオンと言うGSは、大阪・梅田にあるゴーゴー喫茶「ゴーゴーGT」 の専属バンドで、リンド&リンダ-スの弟バンドとしてレコ-ドを2枚発売しています。
しかし、残念ながら知名度は低いかも。
 
 
浜田藤丸氏は、解散後もミュ-ジシャンとして活躍。
自分は、浜田藤丸氏とは面識もないし当時を知りません。
しかし、2005年のリンダ&リンダ-ス再結成ビデオを観て、足を怪我しているにも関わらず、ドラムを叩く姿を見て妙に感動しました。
当日は、「ハハハ」 「銀の鎖」 などの数々のヒット曲を披露。
「夕陽よいそげ」 の浜田藤丸氏のジャンプはお見事であった。
ボ-カルの加賀テツヤ氏が、大丈夫か?と歌いながら心配していましたが、最後の曲まで完璧に演奏。
さすがプロである。
残念ながら、最後は怪我が元でお亡くなりになられたようです。
 
 
ご冥福をお祈りいたします。
 
 
木村幸弘とバックボ-ン
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9月9日(日) 大阪で開催された 「木村幸弘とバックボ-ン」 のライブに行ってきました。
「木村幸弘とバックボ-ン」 と聞いて反応がある方は、相当な音楽通だと思います。
ただ、グル-プサウンズ関連の雑誌とかでは取り上げられる機会も多い。
 
簡単に言うと、伝説のジャズ喫茶 「ナンバ一番」 の人気バンドで、オックスを結成する前に、野口ひでとがボ-カルを担当していたバンドです。
 
2015年に 「初心忘れるな 木村幸弘とバックボーン・ライブ」 が開催されたのは知っていたが、今回は日頃からお世話になっている関西のOさんと九州のYさんが来られると言うので、二人に会う目的もあり大阪へ行きました。
この二人には自分は頭があがりません。
 
関西のOさんは、多くのGSメンバ-との交流があり、また普通は絶対誰も持っていないであろう、ジュリ-関連、GSやロックバンドなどの貴重映像を送って頂き、驚かされる事が多い。今回もお土産に貴重な映像を収録したDVDを頂きました。
 
当時の 「リンド&リンダ-ス」 の映像が観れたのも.関西のOさんのおかげです。
 
 
九州のYさんは、
何を持ってるの?
と聞くより 何を持ってないの?と聞いた方が早いくらい、GSや70年代のレコ-ドやCDを持っており、市販されている商品と勘違いする程、プロ顔負けのジャケ付きのCDやDVDを送ってくれます。
 
おかげでGSオンリ-だった自分が、70年代の音楽に興味を持つようになりました。
趣味が広がり感謝です。
 
今回も、野口ひでとファ-ストアルバム 「ひでとよりあなたへ」 の帯付きサイン付LPをCDにしてプレゼントしてくれました。
 
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当日はYさんの知人数名と合流し、ライブ前に昼食を共にしてライブ後も味奉行での飲食。
とても楽しい時間を過ごす事が出来ました。
 
今思えば、最寄駅から徒歩5分のはずが、道に迷いタクシ-に乗りライブ会場へ到着に1時間くらいかかったのも良い思い出です。
 
「木村幸弘とバックボ-ン」 の素晴らしいステ-ジも含め、時間が経っても行ってよかった!と言う満足感が今も続いております。
 
 
木村幸弘氏 (ギタ-) は、81歳ともは思えない迫力あるギタ-プレイを披露、平井堅一氏 (キ-ボ-ド) の奏でる60年代の音色、相良建生氏 (ドラム) の安定したドラムに長江敏郎氏 (ボ-カル&ギタ-) のユニ-クなト-ク&迫力あるボ-カル、そして秋月克衛氏 (ベ-ス) のバンドを支える安定したサウンド、そして野口ひでと(ボ-カル)の,ファンを野口ひでとの世界へ吸い込ませる魅力。
 
今回もライブチケットが即日完売したのを納得させられる、パワフルなステ-ジであった。
 
余談だが、スパイダ-スの井上堯之にギタ-の基本から全てを教えたのが、木村幸弘氏である。また秋月克衛氏は、安岡力也とシャ-プホ-クスに参加しシングルレコ-ドを発売しています。
 
野口ひでとがMCの中で、ジャズ喫茶の楽屋に秋月克衛氏を訪ねて行ったら、最初に安岡力也が出てきて怖かったが、その後凄く親しくさせて貰ったと話していました。
 
またモップスと大喧嘩をしたのに、なぜかオックスとモップスはその後仲良しになったとも。
こう言う話は、ライブでしか聞けないですよね。
 
ただオックスは絶対に再結成しませんと断言した事は、何とかなく理由等はわかりますが、オックスファンである自分としては、目の前で発言されたのを聞いて少し残念でした。
当日のライブは、GSの曲も多く洋楽も知ってる曲ばかりで、聴きごたえある2時間30分
 
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「恋はもうたくさん / ダイナマイツ」 
「神様お願い /  テンプタ-ズ」 
「君に会いたい / ジャガ-ズ」 
「好きさ好きさ好きさ / カ-ナビ-ツ」 他、
多くの曲で、会場を盛り上げました。
 
「恋はもうたくさん」 の様な、売れなかった曲でも50年後、こうやって評価されるのは嬉しいですよね。
この曲、「トンネル天国」 のB面ですが、近田春夫の深夜ラジオで初めて聞いた時は、てっきりA面で売れた曲だと思いました。
 
1メ-トル目の前で、「ガ-ルフレンド」 や 「 スワンの涙」 を歌う野口ひでとを観て、思わず失神してしまうのではないか・・・と言う程、感動致しました。
 
「オックス・クライ」 では、ライブ会場の盛り上がりが最高潮に達し、まわりを見たら、女性たちが10代にタイムスリップして輝いていました。
 
彼女たちの心の中には、いつも 『ドラえもん』 がいて、タイムスリップ出来るのでしょう。
タイムスリップしなくても、輝いてる女性たちばかりで会場は埋め尽くされていました。この女性たちは、きっと10年後も今のまま輝いていると思うし、輝いていて欲しい。
 
MCでは、野口ひでとが
 
今日は、「真木ひでと」 ではなく 「野口ひでと」 です。 
「真木ひでと」 で出てきたら、演歌を歌いだしそうで・・・・
 
と客席を笑わせていました。
あと、当時の失神についても語り、さらにオックスのライブLP  『オックス・オンステージ No,1』 にも触れ、
 
あそこにいたファン達は、どこに行ってしまったのでしょう~? 
 
と会場を笑わせていました。
確かに、あの会場にいた何千人のファンの今が気になります。
 
 
1969年に、このLPに収録されたコンサ-トが開催された 『名古屋市公会堂』 は、名古屋市重要建築物に指定され当時のまま現存しています。
 
 
また、オックスの失神についてもMCでは、ユ-モアも混ぜて語っていました。
 
 
 

 

ライブ後は、関西のOさんが親しくしている 「リンド&リンダ-ス」 の宇野山和夫氏のお店 『味奉行』 へ7人で行き、名物の餃子を食べながらGSや真木ひでとさんの話しをたっぷりしました。
 

 

当時の生写真やサインなど大量に持ってきてくれ、追っかけ50年の凄さにびっくり。

 

野口ひでとの販促用のポスタ-に、一緒に写ってたり、自分のように単なる雑誌しか見た事がない人間とは大違い。
 

 

全日本歌謡選手権で、真木ひでとが 「よこはまたそがれ」 で10週勝ち抜きの時に舞台に上がった方もいて、話しを聞いていてとても有意義な時間でした。

 

 

さらに気になる 「オックス」 の赤松愛の現在の話しまで飛び出し、驚きばかりです。

なぜ赤松愛の息子さんの嫁の話しまで知ってるのか、不思議でたまりません。
また皆さんにお会いしたいものです。
 
それにしても、 『味奉行』 の餃子は 『一くち餃子のブ-ム』 を作っただけあり、とても食べやすく何より種類が多く、一言で表すなら 上手い! と叫んでしまう味だ。
本当に美味しいので機会があれば、ぜひお店に行ってください。
 
宇野山和夫氏は、ザ・タイガ-スの前身である 「ファ二-ズ」 に「明月荘」を紹介した関係でメンバ-との関係も深い。
 
 
お店には、タイガ-スのメンバ-が 『味奉行』 に来て一緒に写った写真が飾られている。沢田研二が座った席に自分も座って写真を写しました。
 
前日は、九州のYさんと関東のKさんが夜中の2時まで飲んだ話を聞いて、自分も次回は夜中まで 『味奉行』 で飲みたいと思いました。
 
店のトイレで沢田研二が、ミラ-ボ-ルだと大騒ぎして大喜びしたと聞いたので、自分も入ってみたが、ビックリ!
スイッチを押すと音楽が流れ、まるで狭いディスコの雰囲気を味わう事が出来る。
ジュリ-が大喜びしたのも納得。
 
もう、随分も前だが宇野山氏にはお世話になった事がある。
 
リンド&リンダ-ス~ザ・サニ-ファイブの高木和来氏の娘さんから、亡くなったお父さんの写真が全然ないとの相談を受け、どうしたらいいのか悩んでいた時に、高木和来さんとリンド&リンダ-ス時代に親しくしていた宇野山氏が手を差し伸べてくれ、高木和来氏の娘さんと連絡を取ってくださり、貴重な写真の数々を送ってもらった事があります。
その話を少ししたら、宇野山さんは覚えててくれました。
 
あの時は、自分の周りの人達がとても喜んでくれた。奇跡だと・・・・
宇野山さんは、ミュージシャンとしての活動と並行して俳優もしているアクティブな方です。
 
 
宇野山さんとリンド&リンダ-スについて少し書きます。
 
宇野山さんは18歳で 「ザ・ハリケーン」 に加入しプロの道に進んだのですが、当初はスチールギター奏者でした。
 
「ザ・ハリケーン」 で宇野山さんの横でベースを弾いていたのが、後に 「オックス」 を成する福井利夫さん。
 
その後、福井利夫さんが 「ザ・ハリケーン」 を脱退した為、給料が倍になる条件で宇野山さんはベースに転向し、19歳で関西若手NO1ベーシストと言われるようになりました。
 
同じ頃、後にリンド&リンダ-スを結成する 「加藤ひろし」 は、ジャズプレイヤーを目指し、有名、無名のバンドに顔をだしてはセッションに明け暮れていました。
 
そんなある日、関西NO1プロダクション 「タ-ゲットプロ」 の古川益男社長から
 
 「加藤くん、若者だけのバンドを結成してみないか」
 
と持ちかけられ、ジャズを志す気持とは裏腹に、若い未熟な夢だけを追う十代の若者達とグループを組むことになった。
 
当時、京都の河原町通りの近くに 「田園シアター」 と云う複合レジャービルがあり、ビルの中にキャバレーやダンスホールが入っており、後のリンド&リンダースのメンバ-は 「ダンスホール田園」 に出演。
 
宇野山氏の 「ザ・ハリケーン」 は 「キャバレ-田園」 に出演していました。
 
その時の 「ダンスホール田園」 に出演していたバンドメンバ-は、高木和来 (ギタ-)、 吉田 (ギタ-)、 森本 (ベ-ス)、ドラム島頭 (ドラム)、加賀哲也 (ボ-カル)、榊てるお (ボ-カル)であった。
その後、森本 (ベ-ス) が脱退し 「加藤ひろし」 が間を取り持ち、「ザ・ハリケーン」 で関西若手NO1ベーシストと言われていた宇野山和夫氏を誘い、「加藤ひろしとザ・リンド」を結成。
 
加藤ひろし氏は、若いバンドのメンバ-に対し、極めてスパルタ方式で鍛えていたようだ。
例えばステージの合間にレコードを買ってきて
 
「次のステージで演奏するから聞いておけ!」
 
メンバーはポータブル電蓄にかじりついて、30分ほどでコピーしてステージで演奏。演奏を間違ったメンバーは髪の毛を捕まれ
 
「お前は頭がわるいなぁ」
 
とやられるのは日常茶飯事であったようだ。
 
宇野山氏に言わせると、それからの音楽人生にはその時の経験が大変役に立ったとの事でした。
 
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京都市下京区四条河原町下ル (河原町仏光寺北西角)

 

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当時、「加藤ひろしとザ・リンド」 の前座バンドがザ・ファニーズ。
 
その後、ファニーズは 「ナンバ1番」 のハウスバンドのオ-ディションを受け合格。
 
住む所がない為、宇野山和夫氏が 「ザ・ハリケーン」 の中川しげおが東京に出て行き空き部屋になっていた明月荘を紹介、中川しげおが住んでいた部屋とその隣の部屋に 「ナンバ一番」 のオーディションを受かったばかりのファニーズの五人が住む事になりました。
 
ファニーズのメンバ-は、まだ貧しく保証金も前家賃も無いので、宇野山さんが管理人のおばさんに無理をたのんで後払いで入居させました。
 
沢田研二は、自分の部屋にマジックで落書きをしたのですが、後年  『明月荘』  を訪ねた時に、その文字を懐かしく見ていました。
 
 
また明月荘では、宇野山さんの部屋の隣に高木和来 (リンド&リンダ-ス~ザ・サニ-ファイブ) が住んでいました。
(残念ながら、高木和来さんは2008年7月に他界)
 
暫くして、rデビュー曲の 「ギター子守唄」 が、加賀テツヤのソロシングルとして発売される形となった(1967.2.15)
 
このレコ-ドが、そこそこ売れた為に少し問題が発生。
 
ダンスホールで演奏していた頃のバンドリ-ダ-であった、高木和来氏が加藤ひろしの強引なやり方に不満が募り、親も巻き込んでの問題に発展した。
 
最後は、バックバンドのリンダ-スもレコ-ドデビュ-させる事で決着。
 
デビュー曲は 「燃えろサーキット」。 曲のイントロでギターとベースだけでレーシングカーのエンジン音を表現してしまっている、ある意味凄い曲です。
 
このイントロのベ-スは宇野山和夫氏。
当時、事務所の社長から 「君のその髪型は、明日からでも公務員になれる!やめなさい」 ときついお叱りを受けましたそうです。
 
この曲を最後に高木和来氏、迎修二氏は脱退し、サニ-ファイブを結成。
 
 
サニ-ファイブがレコ-ディングした 「思い出の京都」 は、応援してくれていた京都の舞妓さんが焼死してしまい、その二人に捧げた名曲です。
 
レコ-ディング時は、メンバ-全員涙が止まらず何度も何度も録音しなおし、やっと完成した曲。とてもいい曲ですので、ぜひ聴いてください。
 
またドラムの島頭氏が
 
「俺、辞めるわ」
 
の一言をのこして脱退、代わりに浜田藤丸氏が加入。
 
その後、「売られたギター」 「銀の鎖」 を発売した所で宇野山和夫氏は脱退。
 
リンド&リンダ-スは、その後  「夕陽よいそげ」  「ハ・ハ・ハ」  「夜明けの十字架」 を発売。
 
1969年に加藤ひろし氏と堀こうじ氏が脱退したが、その後も活動を続け日本万国博覧会にも出演したが、ついに解散する事になった。
 

 

ラストシングル 「夜明けの十字架」 を加賀テツヤは一度だけ、解散後歌っています。この時、40年ぶりに歌いますと披露。

 

しかし、「夜明けの十字架」 を歌うのは解散後、この時が最初で最後になってしまいました。
 
「木村幸弘とバックボ-ン」 の話しを書いたつもりが、かなりあちこちに話が飛んでしまいました。
これもまた楽しいものです。
 
関西のOさんより、瞳みのる氏に関する新聞記事を送って頂きました。
 
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ザ・タイガ-スが東京進出したあと 「ナンバ1番」 で人気があったのが 「ザ・ライダ-ス」。
ライダースもライオンズと名前を変え、東京進出しました。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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パソコンのCDドライブが故障して2ヶ月。
とても不自由だ。CDを車で聴いて過ごしているが、通勤は電車なのでCDが聴ける時間が休日とかに限られる。
 
こんな時、便利が当たり前の生活に慣れてしまっているのに気づかされる。
 
今年、ブログを開設し8年が経ちました。
30年くらい前GSを聴きだした頃、こんな昔の音楽を今頃好きになる人間は、この世に自分だけだろうと少し恥ずかしい気持ちでした。
 
黒澤進さんの自主本を手にした時、自分以外にGS好きが何人かいたんだぁ~と思ったけど、まさか堂々とGSを自分から語れる時代が来るとは思わなかった。
 
ブログで最初に取り上げたアルファードですが、この8年の間に音源がCD化されたり、ザ・タイガ-ス復活の流れでアルファードが雑誌に取り上げられたり、有り難い話でございます。
 
 
メンバ-の中には、亡くなった方もおり再結成は無理ですが、機会があれば残されたメンバ-が集まって歌を歌って欲しいと願っています。
 
2枚発売されたシングルの2枚めの 「ひとりゆくさすらい旅」 は、ベンチャ-スの曲で、映画の主題歌にもなった心地よい曲です。
 
 
 
1970年代に入ってもGSに匂いを感じさせてくれ、また1970年代らしい二ュ-ロック、また歌謡曲やフォ-ク系の曲もステ-ジで歌っており、意外と聴きやすいサウンドだと思います。
 
当時、レコ-ド化されたのは 「涙の思い出」 「ひとりゆくさすらい旅」 2枚だけですが、レコ-ド化されていないオリジナル曲も多く、また荒木一郎やアダモなどの曲を独自サウンドで、オリジナルっぽくしている曲もあり、解散して45年経っていますが親しみを感じるバンドです。
 
それらの曲を少し紹介したいと思います。
 
最初に紹介する荒木一郎・作詞作曲 「シェルビ-」
 
「シェルビ-」 をアルファ-ドが歌うきっかけになった経緯をボ-カルの丸山氏が、日記の中で語っていました。
 
<丸山芳春 談>
 
ある日、アルファードの所属事務所である現代企画のパーティが荒木一郎 (空に星があるようになどのヒット曲がある) の自宅で行われ、荒木一郎のお母さんで女優の荒木道子さんが出迎えてくれ、手調理を振る舞われ歓迎された。その時に息子である荒木一郎の歌を、オリジナルとしてやってみてはどうか?という話しがあり、デモ・テープを聞かせてもらいました。
 
荒木自身がギター一本で歌った、おそろしく下手なテープだったが、中には何曲か僕らに合いそうな曲があった。 メンバーと相談して、「シェルビー」 と 「風になりたい」  の2曲を選んだ。
 
「シェルビー」 は60年代風に 「風になりたい」 はフォーク調にアレンジして演奏。
 
また、僕の作詞・作曲した曲に 「美しい瞳」 という曲がある。
これはワイルド・ビースト時代からの曲で、部分的に2度ほどメロディを手直しをしたが満足したわけではなく、未完成な曲だった。

ザ・タイガースの 「光ある世界」 にインスパイアされて作ったが、内容は 「のっぽ」 に来ていたタイガース・ファンの、メメという女の子のことを歌ったもの。
とても可愛い子だったが、近寄ると逃げていき、遠ざかると寄ってくるような、そんな子だった。
 
他にも 「僕は真夜中」 「心の花 愛の花」 「愛の子守唄」 「旅立ちのワルツ」 などがありますが、当時ヒットしていた 「さらば恋人/堺正章」 をステ-ジで披露している音源も残されています。
 
 
 「さらば恋人」    1971年10月26日   新宿二ュ-ACB
 
       
 
 
 
 
続・決着
・主演:梅宮辰夫  城 卓也
・1968年3月上映

 

 

 

 

 

 

最近、ブログで映画を取り上げる事が多くなった関係で、GSファン以外の映画ファンの人からメ-ルを頂いたりして、少しだけ交流の幅が広がりました。

また、GSを知らない世代のGSファンからもメ-ルを頂いたりしています。
今は簡単にマイナ-GSの音源が聴ける時代ですが、やはり聴くだけでなくGSについて誰かと話したいものですよね。
GS出演映画、一部の人に喜んで頂いてるようなので暫く続けます。映画の次はテレビドラマ、また当時の音楽番組などを取り上げますので、あと2~3年お付き合いください。
この 「続・決着」 は、1960年代に人気のあった任侠映画で、怖いシ-ンが多く目が離せません。
 
 
 GSファンにとって嬉しいのは、カルトGSの最高峰である 「ザ・ジェノバ」 の映像が観られる事です。
レコ-ド音源ですが 「サハリンの灯は消えず」 の熱唱シ-ンが観られるのは涙なくしては観られない。 
 
 
自分がこの曲を初めて聴いたのは、30年以上前のラジオの深夜放送でした。
パーソナリティが、この曲を解説した後に曲が流れました。
確か 「旧約聖書アダムス」 のあとに流れたような・・・・この時のテ-プまだ残ってますので今度調べてみます、カセットテ-プですが。
ジェノバに関しては、そんなに詳しくないのですが簡単に書きますと、1967年にクラウンレコ-ドより、水戸浩二のバックバンドとして 「君さえいれば/作ってあげようネックレス」 でレコ-ドデビュ-。
苦労してにレコ-ドを入手したが、GSを期待したら違った。
    
翌1968年に単独で 「サハリンの灯は消えず」 を発売。
その後、「いとしいドーチカ」 「さよならサハリン」 を発売し、最終的に4枚のシングルを発売し解散したわけですが、ラストシングルは「帰り道は遠かった/夢」 と言う、それまでの3枚とは全く方向性の違う曲であった。
  
個人的にはラストシングルB面の 「夢」 の元気良さが好きです。
また平成になって「サハリンの灯は消えず/帰り道は遠かった」を再録音し発売。
極端なアレンジで1960年代サウンドが好きな人には、お奨め出来ない。
同じ曲なのに、どうしてこんなに変わってしまうのだろう。
 
と言うわけで、「続・決着」 は動くジェノバが観られる貴重な映画です。      
 
 
 
 
先日、「あのスタ-にもう一度逢いたい」 と言う、ト-ク番組が放送されたので観てみた。
ゲストはショ-ケンこと萩原健一。
テンプタ-ズ時代のファンクラブのイベントの映像が流れたり、なかなか充実した内容だった。
また、最近ショ-ケンのテレビ出演が多くなった気もします。
まだまだ輝いていて欲しい ★あのスタ-★ そのものです。
スポ-ツ誌のコラムで、テンプタ-ズ~PYG~役者の事が書かれていますので時間がある時に読んでみてください。
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テル・ミ- ~ アズ・ティア-ス・ゴ-バイ

(ザ・タイガ-ス 1968年録音バ-ジョン)

 

 

 
 
 
2月1日~28日まで、スポニチのコラムで元タイガ-スのサリ-こと 「岸部一徳」 の自伝が掲載されました。タイトルは 「我が道」。
 
色々なファンの方がブログなどで取り上げているので、記事を読んだ人も多いと思います。
他人が書くのと違い、岸部一徳本人の話なので読みごたえがあり、毎日楽しみにしていました。
 
運良く職場でスポニチを取っていたので、朝から毎日読む事が出来ました。
 
あらためて振り返って読むのもいいと思うので、全27回分掲載します。
新聞ではカラ-ですが、白黒の方が文字が読みやすいので色変換しましたが、2回目だけは変換に失敗したので読みにくいかも。
 
 
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曲が売れたら映画化、1960年代はそんな時代でした。この映画も、女優経験のない 「黛ジュン」 が主役として抜擢されているが、思った以上に演技が上手い。
 
オープ二ングは、ヒット曲 「天使の誘惑」 から始まるが、イントロが流れただけで曲がわかる、そんな歌が昔は多かったような気がします。
 
曲と共に水着姿の黛ジュンが現れ、「天使の誘惑」を歌いだすのだが、どんな内容なのだろう~と映画を観ている側はワクワクしてしまう。
 
 
 
映画の内容は、レストランのウェイトレスやス-パ-で働く女性 「黛ジュン」 が、恋や唄に心躍らしながら成長していく青春映画。
 
1960年代の風景がタップリ見られて、それだけでも懐かしさが味わえます。
出演者である 石坂浩二や石立鉄男 が初々しい
 
 
映画の中では、『若大将シリ-ズ』 でお馴染みの田中邦衛が 『若大将シリ-ズ』 の青大将役のように、黛ジュンをドライブに誘い高原へ・・・・
車を運転しながら、ヘタくそな歌を口づさむシ-ンは、青大将そのものだ。
 
 
色々な男性と恋をしたり失恋しながら、大人の世界へ入っていく黛ジュン。ス-パ-を辞め、そしてスナックで働くようになり、ダンディな男性と知り合う。
 
デ-トのシ-ンでは、なぜか男性がプ-ルに飛び込んでしまうのだ。
 
 
ある雑誌で 「ゴ-ゴ-」 がブ-ムだと紹介されているのを見た黛ジュンは、デ-トで 「ゴ-ゴ-ホ-ル」 へ行くのだが、この雑誌をよく見ると 「黛ジュン」 が写っている。
 
勝手に言わさせてもらうと、この映画の一番の見どころは、この 「ゴ-ゴ-ホ-ル」 でオックスが演奏している事だろう。
 
黛ジュンが歌う 「ブラックル-ム」 では、バック演奏をつとめ、またオックスとして 「ガ-ルフレンド」 を歌うシ-ンがある。
 
オックスの曲の中で、「ガ-ルフレンド」 は自分の中ではベスト10に入る名曲です。
 
 
 
斬り込み (1970年・日活)
渡哲也・主演の任侠映画。
映画の中では、暴力シ-ンがやたら多い。
青春映画の後には観ない方がいいかも。
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この映画、渡哲也が主役なのだが、脇役の存在が非常に目立つ内容です。
ただ、優しい顔立ちの沖雅也は任侠映画には不向きかも知れない。

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宍戸錠の弟、郷鍈治も出演。渋い演技を見せてくれる。
郷鍈治は、ちあきなおみと結婚したが、残念ながら55歳で亡くなった。
それ以降、ちあきなおみは表舞台から姿を消してしまったのだが、今なおファンが多く復帰が望まれる歌手である。ちなみに自分も 「喝采」 は好きでした。
 
"あれは3年前、止めるあなた駅に残し~~動き始めた 汽車にひとり飛び乗った~”
 
曲を聴くと光景が浮かぶ、そんな歌が最近減りました。
この映画、杉良太郎も出演しているが、どうも忍者ハットリくんが浮かんでしまい、任侠映画と結びつかない。
ゴーゴ-・ホ-ルでは任侠の方々が、GSの演奏をバックにゴーゴ-を踊るシ-ンがあり、いかにも1960代の雰囲気が感じられる。ここで踊っている少女たちは今、どうしているのだろうか・・・・・・・
ゴ-ゴ-ホ-ルの場面では、この雰囲気に全く溶け込めていない少女が登場。仲間が踊っている中、奥の席で正座をして、時間が過ぎて行くのをただ待っている少女。何しに来たのだろうと思いきや、その姿を任侠の方に見つかってしまい、お酒を強引に飲まされてしまい外へ連れ出されてしまう。
意識のないまま、事務所に運ばれて襲われてしまう。
アップになる少女の顔が、リアル過ぎて衝撃的なシ-ンだ。
ゴーゴ-ホ-ルでは、GSのモップスが演奏。
「アイ・アムジャスト・ア・モップス」 を歌っているのだが、ボ-カルの鈴木ヒロミツが珍しく、バックでギタ-を弾いている。
この 「アイ・アムジャスト・ア・モップス」 と言う曲は、LP 「サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン」 に収録されているのだが、GSらしい素晴らしい曲である。
CD化されているので、ぜひ聴いてもらいたい。
モップスは、映画内では2回登場。同じ場所なので同時に撮影したのだろう。