コロナを甘く見てはいけない。
前週より○人減少、ワクチンを打てば大丈夫・・・・
昨年と今年、知人が2人コロナで亡くなった。
40代と50代で持病らしい持病もなく元気だったのに。
感染者もそうだけど死者は相変わらず多い。
コロナを甘く見て欲しくないです。
遠い過去ですが、今から55年前の1967年11月5日に事故は起こりました。
1967年11月5日と言えば、LPレコード「ザ・タイガ-ス・オン・ステ-ジ」が発売された日でした。
また、その1週間前には初出演映画「ドリフターズですよ!前進前進また前進」が公開。
映画と言えば、ザ・タイガ-スは5本の映画に出演しています。
・前進前進また前進
・世界は僕らを待っている
・華やかなる招待
・ハ-イ!ロンドン
・喜劇!右むけ左!
また沢田研二・単独で下記に出演
・日本一のヤクザ男
・クレイジー・メキシコ大作戦
話が映画の方へ行ってしまいました。
事故が起きた11月5日に発売されたLP「オン・ステ-ジ」
ザ・タイガ-スにとっては「ファ-ストアルバム」ですが、未発売になった「ファ-ストアルバム」があります。
洋楽カバァ-曲やオリジナルです。
運良く、幻の曲を知人から聴かせてもらいましが、今からでも全曲CD化してもらいたい。
また、ザ・タイガ-スは、意外に未発表曲が多い。
下記などは未だにCD化されていない。
・悪魔の子供
・さざ波
・泣かないで
・ノ-モア・ラブ
・夕陽を探して
・私のエンジェル などなど。
その中で気になるのが、トッポが失踪した1969年3月5日録音の「さざ波」。
急にトッポがいなくなったが、ギターを森本太郎が完璧にこなしている。
録音を中止しなかったメンバーは凄いと思う。
1967年11月5日に事故は「奈良あやめ池屋外ステ-ジ」で起こりました。
1回目のステ-ジでは「モナリザの微笑」などのオリジナルに加え、Rストーンズやビートルズの曲を中心に演奏されました。
しかし、2回目のステ-ジへの観客入れ替えが行われた時に観客が殺到。
今と違い、自由席だったために「良い席を確保」したい観客が押し合いとなり将棋倒しとなった。
30人近い怪我人が出てしまいました。
その日の夕刊で事故は報じられ、GSバッシングが始まりました。
特に世論に敏感なNHKは、収録済みだった「歌のグランドショー/11月12日放送」のタイガースの出演部分をカット。
以後、長髪のGSはNHKに締め出され、一部の学校ではGSのライブへ行くのが禁止となった。
行くな!見るな!聞くな!と言われたら、反発したくなるのが若者たち。
逆にGSブ-ムに拍車をかけてしまいました。
GS大好きだった親戚に、「奈良あやめ池屋外ステ-ジ」の話を聞いた事があります。
自分は行かなかったけど、友人が会場に行って大変だったと。
その程度の話しか聞いた事がありませんでした。
先日、GS好きの友人の中に「奈良あやめ池屋外ステ-ジ」に行った人がいて、当時の話を聞かせてもらいました。
また、当日撮影したステ-ジ写真も頂きました。
1967年11月5日 日曜日
あやめ池遊園地野外ステージ
ザ・タイガースショー 午後13時 15時 2回公演
その日のタイガ-スの予定
昼「奈良あやめ池屋外ステ-ジ」 夜「アベック歌合戦」の公開番組の収録
どちらへ行くか迷いました。
やっぱり歌が聴きたいので親には
>友達と遊園地に行ってくる
そう告げて、早朝に出発し三人であやめ池に向かいました。
GSのコンサートへ行くとは言えない雰囲気でした。
朝早い時間に会場に到着したので、1回目のステージは混雑もなくスムーズに入れました。
後日、「アベック歌合戦」をテレビで見ましたが、「あやめ池公園」の時と同じ衣装だったのを覚えています。
その時に何枚か写真を写しました。
1回目のステ-ジ写真です。
事故が起こったのは2回目のステージの入れ替えの時でした。
入口に6000人近い女の子達が殺到して、絶叫悲鳴の渦の中で靴やバックが飛び交い、まるで地獄絵図のようでした。
あちこちで泣き叫ぶ声が響きわたっていました。
私も、その渦に巻き込まれ柱と群衆の板挟みとなりギューギュー押され続けて身動きすら出来なくて
息が出来ないー!苦しくて死ぬと思いました。
どうやって抜け出したのか記憶にないけど、友達は柵によじ登り、群衆に罵声を浴びせてました。
本当に怖かったです。
目の前には将棋倒しになって救急車で運ばれた女の子達もたくさんいました。
当然、この事は夕刊やニュースで報道され親に知れる事となりました。
何食わぬ顔で帰宅したら母が玄関先で鬼のような形相で待ち構えていて、顔を見るなり叱咤されました
最初は、コンサートは見ていないとしらを切り続けました
でも全身の青あざで、すぐにばれました。
あざだけで済んだのが奇跡です。
今まで生きて来て一番命の危険を感じた出来事でした
この時、タイガースのメンバーはステージの裏の控え室にいたようです。
悲鳴やら靴やバックが飛んでくるのが見えてとても怖かったと、森本タローさんが話していました。
ちなみにこのイベントに、小学生だっ明石家さんまさんが家が近くだったので行ったようで
>群衆に揉まれ、偉いめにあった
ジュリーが「さんまのまんま」に出演した時話してました。
この事故をきっかけに理解ない大人たちのGSバッシングが始まりました。
GSのファンは不良だ!
また、GSコンサート出入り禁止令が出てコンサート会場まで先生が見回りに来たりもしました。
NHKの出演もお流れになったりしましたが、裏腹にタイガース人気は更に勢い止まらずでした。
この年のレコード大賞新人賞にタイガースもノミネートされてたはず…
ファンの中では当然新人賞はタイガースだと信じて疑わなかった…
なのに蓋を開ければ永井秀和さんでした。
ファンにとっては衝撃的でした。
こんな感じで、当時を振り返って頂きました。
この事故の時、タイガ-スのメンバーは楽屋で悲鳴を聞いたそうです。
メンバーはPM3時30分に奈良県警の車で大阪へ。
その日の夜、精神的にきつい中で「ト二-のアベック歌合戦」の収録へ。
その時の写真が残されています。
どんな気持ちで撮影に参加したのでしょうね。
ザ・タイガ-スは、殺人的スケジュールだったため、事故の翌日には静岡へ。
人気が爆発していたタイガ-ス。
どこへ行っても大変な騒ぎだったようです。
ちなみにテンプタ-ズも同様だったようです。
ザ・タイガ-ス ザ・テンプタ-ズ
ジャズ喫茶も常に満員御礼!
プライベートで頂いた写真もありますので、写真は転載しないでください。
取りあえず次回へ続く。