3週間前に続き、再び松山地裁での証人尋問に出廷した。3週間前の事件とは違う被告人の事件だけれど、共犯関係の被告人の事件であり、裁判官も裁判長と左陪席(3名の中で一番若手)は同じ、検察官も1名は同じ、検察側証人(奈良少年刑務所の現役職員)、弁護側証人(私)も同じ、という全然別の事件の感じがしない裁判である。
3週間前の裁判では、検察側証人である奈良少年刑務所の現役職員が写真をふんだんに取り入れたパワーポイントを作成し、わかりやすく説明したことに衝撃を受け、弁護人と協議したうえ、私もパワーポイントを作成した。写真はなく文字だけのシンプルなものだけど。
自分でパワーポイントに基づいて証言してみて感じたことだけど、やはり専門用語を説明する場合には耳だけで聞き取るよりも文字があったほうがいいと思った。「こじんべつきょうせいきょういくけいかく」(個人別矯正教育計画)とか、少年院のことを知らない裁判員が耳だけで聞いても絶対に理解できないだろう。
そういう意味では、「わかりやすく」説明することは大事だと思ったけれど、一方で、裁判に「わかりやすさ」を過剰に求められる風潮はいかがなものかと思っている。少年犯罪に限らず、世の中で起こる事件には、様々な背景があって、犯罪を起こした人に対する適切な処分や処遇を検討するには、その様々な背景をいろんな角度から分析する必要がある。そういった個別的な背景事情を省略して「わかりやすさ」を追求することで、なにか大切なものを見落としているような気がしてならない。
3週間前の裁判では、検察側証人である奈良少年刑務所の現役職員が写真をふんだんに取り入れたパワーポイントを作成し、わかりやすく説明したことに衝撃を受け、弁護人と協議したうえ、私もパワーポイントを作成した。写真はなく文字だけのシンプルなものだけど。
自分でパワーポイントに基づいて証言してみて感じたことだけど、やはり専門用語を説明する場合には耳だけで聞き取るよりも文字があったほうがいいと思った。「こじんべつきょうせいきょういくけいかく」(個人別矯正教育計画)とか、少年院のことを知らない裁判員が耳だけで聞いても絶対に理解できないだろう。
そういう意味では、「わかりやすく」説明することは大事だと思ったけれど、一方で、裁判に「わかりやすさ」を過剰に求められる風潮はいかがなものかと思っている。少年犯罪に限らず、世の中で起こる事件には、様々な背景があって、犯罪を起こした人に対する適切な処分や処遇を検討するには、その様々な背景をいろんな角度から分析する必要がある。そういった個別的な背景事情を省略して「わかりやすさ」を追求することで、なにか大切なものを見落としているような気がしてならない。


