海軍の記憶
司馬遼太郎は本を書くとき、積み上げると自分の身長にもなるほどの資料を使うと、何かで聞いたことがある。「坂の上の雲」を書いたとき、その後半のクライマックスである日露戦争の日本海海戦のことを書くことは、筆者にとって難関だったようだ。
というのも、彼は陸軍出身だから海軍のことを疎かったと述べている。軍を知らない私にしてみれば、似たようなものじゃないかと思ってしまうが、全く違うものらしい。
その海軍での出来事、船の操りかた、潮の流れ、そういうものを書物から学び、また元海軍大佐に質問したりもしたそうで、それを「畳の上の海軍」と表現している。
その「畳の上の海軍」の1つとして、元海軍の方々と筆者が、戦艦三笠の士官室で会った時のこと。
40代の筆者と70〜80代の数人が2時間ほど穏やかな話をして過ごしたことが書かれているが、筆者自身が「こういう品のいい集いのなかに身を置いたのは初めてだし、再びはないだろうと思った」と書いている。
この一文が、その後の海軍とはどういうものかという筆者の考えを暗示させる。
海軍は、「海軍士官はスマートであれ」という一言だけを言われ、陸軍のように精神訓話をしないところだったという。
日本海軍はミッドウエー海戦などを経て消滅するが、戦争の禍害や超国家主義によって社会そのものが望まない方向へ行ってしまう直前だったことから、海軍に身を置いた人たちにすると、昔の日本の良さが残っていて「場所のよさ」というものがあったらしい。
日本海軍は、戦うために入れられる牢のようなものではなく、身を置いたものが懐かしむことができる、誇り高き場所だったのだ。
司馬遼太郎にとって全く未知の世界だった海軍の話を、経験者から聞けたことは本当に素晴らしい経験だったに違いない。「畳の上の海軍」は筆者の頭の中で組み立てられて、「坂の上の雲」の日本海海戦を鮮やかに描写することになる。
面白いのは、この三浦半島記を書くにあたり、再び戦艦三笠を訪れた時の司馬遼太郎の印象の変化である。
元海軍の方たちと2時間あまり話した戦艦三笠の士官室は、あり得ないことだと思いながらも、狭く暗く感じられたという。
あの「品のいい集まり」は、筆者にとって最高の思い出であったため、士官室という本来なら上甲板の下の明るいはずのない場所もアメリカ人好みのリビングルームのように明るかったのだと。
「記憶というのは、その記憶が生じた日の気分によってずいぶん現実とは違う」
あの時にいた人々の気品が、記憶の中の部屋の照度(ルクス)をあげてしまっているかもしれないと表現した筆者の、集まった人への思い、そして今はもうその人たちに会えない寂しさ、現在の日本はそんな昔の良さがなくなっているということへの憂い、それらが「記憶のルクス」という題に凝縮しているように思われた。