戦艦三笠と日本人。
戦艦「三笠」といえば、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を全滅させた日本海軍の旗艦である。
学生時代に「坂の上の雲」を読んだ私にとって、三笠は最高の旗艦でありその存在そのものに尊敬の念を抱く。
いや、本来なら、それを操った東郷平八郎以下海軍の人々、とりわけ作戦を練りに練った秋山真之に対して抱く思いかも知れないのだが、海戦の間は常に先頭で砲撃を受けながらも耐えた三笠という「船」に、ああ、いてくれてよかった、という思いがなぜかあるのだ。
三笠は、いずれ起こるであろうロシアとの海戦のためにイギリスに注文され、当時世界の最新鋭だった。日本にあるこの最新鋭の戦艦は1隻なのに対し、ロシアは4隻でさらにもう4隻の戦艦を所有していた。ただ、戦艦の数はロシアより少なかったが、艦隊としての総合戦力ではほぼ同じだったらしい。
日本海海戦は、東郷平八郎を司令官とする日本側が勝った。日本側の損害は水雷艇3隻のみ。対するロシアは艦隊の96パーセントを失い、海上で捕虜になった者は6000人である。
艦隊としての戦力に差がなかったことから、日本側の勝利は作戦のよさと兵員の訓練度合いにおいてロシアに勝っていたためと司馬遼太郎は分析している。
特に、作戦の良さ、というのは、この三浦半島記の中でも述べられていた、参謀秋山真之は瀬戸内海の水軍の兵書を熱心に研究し、海戦において「舵を取るものを射よ」という教えを応用して、バルチック艦隊を沈没させるのではなく火災を起こさせて戦闘不能にするという作戦のことであろう。
三笠は全軍の先頭に立ち、敵の砲弾を多く吸い寄せ、戦死者も他の艦より多かったという。司馬遼太郎の「よく働いた」という擬人化した言葉にちょっと涙腺が緩む。
日本海海戦中、東郷平八郎は作戦の遂行は参謀らに任せて司令塔上に立ち続けた。砲弾が飛び交い、海上の飛沫がかかる場所で、微動だにしなかった。海戦が終わって彼がそこを降りたあと、靴の跡だけが白く乾いて残っていたという話は「坂の上の雲」でもこの三浦半島記の中でも紹介されている。
東郷の話に代表されるような、日本人の気概が三笠には集約されていたのだ。