江戸末期の政治家とは。
政治家という言葉は、明治後に定着した日本語で新しい部類に入るのだそうだ。
この言葉に相応しい人物が2人いると司馬遼太郎はいう。
一人は勝海舟で、もう一人は小栗忠順という人である。
勝海舟は、もちろん江戸城無血開城を行った有名人物であるが、小栗については、私は知らなかった。
筆者がなぜ、二人を政治家と呼ぶに相応しいと言えるのかというと、日本の将来像がありそれに向けての構想があり、そして実践したからなのだそうだ。
小栗の家は家康の時代から徳川に仕えた家柄で、小栗は明治維新で徳川が全権を天皇に渡した時代に幕臣となっていた。
小栗は、フランスに学び、横須賀の小さな漁村に造船所を作り、フランスとの外交をうまくやっていった。そしてそれは日本の近代工学の基礎となっていく。
勝は、小さな家の出であったが、曽祖父の先見の明により御家人の息子になることができ、さらに勝自身が蘭学を学び海軍学校の最初の卒業生となったことで御家人から士官へと道を自ら開いた。
二人の共通点は、同時期にアメリカを知り、近代の様子を目の当たりにしたことである。それが彼らに日本の未来を描かせ、それを実現するための行動を行っていった。
しかし、二人の違うところは、小栗が最後まで徳川の家にこだわったのに対し、勝は無血開城をやってのけたというところだろう。小栗の倒幕派に対する戦略は綿密なものがあり、それを徳川慶喜が採用していたら、もしかしたら日本の歴史は変わっていたかもしれない。
小栗という歴史の教科書には出てこない無名の幕臣と、あまりにも有名な勝海舟の二人が日本の近代化に及ぼした影響の大きさは、私には想像もできない。
勝が無血開城をしなかったら、江戸の町は壊され、日本の近代化はさらに遅れたであろう。小栗が造船所を作らなかったら、日露戦争は負けていたであろう。そしてロシアに制圧されたら日本はどうなったのだろう。
歴史にタラレバはないけれど、そんなことを考えた章だった。