源頼朝が流人から征夷大将軍になるまでの間に起こった最大の事件は平家の滅亡。頼朝は関東を動かないまま、義経らが平家を追い詰めていく。
今回、その場面でおおおおおと思ったことがあった。それは、最後の壇ノ浦の戦いで、海に強い平家が陸に強い源氏になぜ負けたのかと言う理由と、それが700年以上あとの、のちの日本の明治という時代に大いに影響したということである。
平家は、壇ノ浦が時間によって潮の流れが変わることを知っており、それを利用して戦いを仕掛けた。押されに押され追い詰められた義経が思いついた作戦は、敵の漕ぎ手を射ることだった。漕ぎ手を射ることは水軍の禁じ手に近いものだったらしいこと、非戦闘者を射ることは潔くないことであり、漕ぎ手という雑兵を射ても手柄にならないという理由もあるようだったが、この作戦が功を奏し平家の船は漕ぎ手を失って海上を漂う羽目になる。
そして潮の流れが変わると源氏の船は平家の船を圧倒し、そして平家は滅んだ。
水軍の常識を知らなかったからこその作戦勝ちということなのかもしれないが、この戦い方はのちに瀬戸内海の水軍の兵法に継承される。そして、漕ぎ手を射よと書かれた「能島水軍兵書」という江戸時代の書物を、なんと明治時代の秋山真之が丹念に研究したという。
これは、日露戦争でバルチック艦隊を破ることに成功した作戦につながる。
秋山真之は、日本海海戦で艦隊参謀をつとめる人だが、この研究から、日本は、敵艦を撃沈させなければならないという考え方から離れて、戦闘不能すれば良い、すなわち火災を起こさせれば良いということに重点が置かれるようになった。
この結果、日本が開発した火薬によってバルチック艦隊のほとんどが火災に悩まされ、日本はこの海戦で勝利する。
もちろん、艦上に火災を起こして戦闘不能にすることだけが、日本海海戦の勝利につながったわけではないが、義経の追い詰めらて思いついた作戦が、のちに世界最強と言われたバルチック艦隊を負かすことにつながっていたのだと思うと、一言では言い表せない何とも表現できない、歴史の凄さを感じて、ただただすごいなあと思ったのが率直な感想だった。そして学生時代に「坂の上の雲」を読んでおいてよかったと思った。