鎌倉の鶴岡八幡宮に対する頼朝の思い、首都造営にあたっての背景が面白い。

 

頼朝が鎌倉に入ったときは、まだ平家と対峙していたときだから、街づくりをしている余裕はなかった。そういう状況で、まずやったことは八幡宮を造営することだった。

 

八幡神は渡来人が大分で奉じていた神で、のちに奈良に入り平安時代には石清水八幡宮が造営される。これは皇室にとって伊勢神宮に並ぶものになるが、八幡神は清和源氏の氏神でもある。頼朝はもともと由比浜にあった古い八幡宮を鎌倉の中心地に新しく造営することを鎌倉に入ってすぐに決めたらしい。

 

なぜなら、自分が清和源氏の嫡流であるということを天下に知らしめるという必要があったかららしい。当時の足利氏、新田氏、甲斐武田氏も清和源氏であると言っていることに起因していると考えられている。

 

対峙する平家より、まずは同族に対して自分が正統であることを示さなければならなかったところに、当時の武士の複雑さ、すなわち初めての武家社会ができる前だからこその混乱と様々な思惑があると思った。

 

また、現在の若宮大路は長さ1.8kmしかないが、幅が広い。八幡宮とこの1本の道が、頼朝の首都設計だった。平安京の内裏と朱雀大路に似ているけれど、平安京にある多くの道はないし、本当に八幡宮と若宮大路だけ。

 

でも、これが頼朝にとって本質だったというところが納得するし、本当に的を得ている。

 

自分には平家と対峙している以上、首都を作っている時間もない。そしてまだ経済力もない。

でも、同族には自分が嫡流であると示さなくてはいけない。

 

結果、主題が世間に伝われば他のものはいらない、となる。

 

ここは清和源氏嫡流が治める首都である、という主題を世間に示すために作られた、あの場所に大きすぎる八幡宮、巨大すぎる若宮大路は、首都の造りとしては完全にバランスを欠いているが、頼朝の考え方がシンプルに反映されていると言える。

 

本当に必要なもの以外は全て排除するという頼朝の思考は、今の自分に一番必要なことなのかもしれない。