鎌倉の段葛について。
「段葛」という言葉を初めて知った。これは土木構造物という表現をしているのだが、要は「道」である。
若宮大路の真ん中に石塁を積み上げてその上を歩けるように作られた道があるのだが、長さ500メートルほどで若宮大路の全体にあるものではない。
この道の両側は桜並木、足元は土。
この道を作るのに頼朝は血相を変える勢いで現場を指揮し、北条時政も土石を運んだらしい。
この道は何のためにあるのか。司馬遼太郎は疑問に思いあれやこれやと考えてみるがどうも腑に落ちない。
鎌倉国宝館の三浦氏に聞いて、この段葛は「神が通る道として作られた」ことを知る。
神の他に歩けたのは将軍と執権となった北条氏のみという。
そしてこの道を作った最も大きな理由が北条政子の懐妊。安産祈願のための突貫工事だったようだ。頼朝や時政が作業に当たったというのはこれが理由だったのだ。
しかし、安産祈願のためになぜ「道」だったかというと、三浦氏によれば、当時鎌倉に多くの武士たちが住むことになり環境破壊があったことに起因する。
多くの木が切り出されて屋敷が作られた。そのために山林の保水力がなくなり大雨のたびに土砂崩れが起こった。
若宮大路には土砂や水が集まり、そこは時に沼のようになり、雨の後もぬかるんで人が歩くのに苦労したという。
若宮大路がぬかるんでは、神は喜ばない。なぜなら御神体を捧持した僧や神官の歩行が困難になるからだ。
段葛という一段高い道が必要だったと三浦氏は明快に答える。
実際に私も歩いたことのある段葛だが、この一段高い道がそもそも段葛という名前であることも、神の通る道として作られたことも安産祈願で作られたことも初めて知った。
そして、なぜ一段高い道を作ることになったのかといえば、何と人口が増えたことによる環境破壊だったという考察は思いもよらなかった。
それほどまでに一気に人口が増え鎌倉のまちが賑わいを見せることになったというべきか、そもそもその人口に耐えうるような平地は鎌倉にはなかったというべきか。
何れにしても、その環境破壊は神と安産祈願に結びつけられて段葛という土木建造物になった。
今日の鎌倉では、段葛は観光客が楽しむ道になった。
頼朝はどんな思いでそれを見ているのだろう。