ちょっと前にニュースになっていた、2021年に大阪の高校で試験中にカンニングをした生徒さんが、学校からの指導で使われた「卑怯者」という言葉を苦にして亡くなっていた記事を読んで...。




小学生の時にカンニングをしたことがある。


とにかく良い点をとらなければと追い込まれていた。できる限り100点を。


いつものようにテストを解いていく。ある時、1問だけどうしてもわからない問題があった。

問題用紙に小さく載せられた広島市内の大きな商店街、本通の天井の写真。この天井の名前は何でしょう?という問題。

休日に遊びに行けば必ず誰かと出くわした本通。今は広島駅もキレイになったし、そんなこともないのかな?



どうしてもどうしても、分からなかった。びっくりするくらい分からなかった。冷や汗が出る、心臓がドキドキしてくる。

テスト時間はまだまだ残っていた。でもこれ以上悩んでも、答えは出てきそうにない。

いけないのは分かってる。でも1問だけ答えが書けない。これじゃ絶対に100点はとれない。

小さく首を動かし、斜め前のクラスメイトの手元を見る。運良く問題の箇所が見える。答えは「アーケード」だ。

急いで答えを自分の解答用紙に書き込む。アーケード、アーケード...。こんなしょーもない答えのために、カンニングをしてしまった。情けなさに打ちひしがれた。



テストは100点だった。だから、何だ。



その後、なぜかお母様にカンニングがばれ、あえなく御用となる。


「お母さんもカンニングしたことあるけぇ、あんたも正直に言ってみんさい!」


心の底から安堵した。おずおずとカンニングした事を打ち明けると、なんだか動揺してしどろもどろになり始めたお母様が「いや、お母さん本当はカンニングしたことないんじゃけど...」などと言い始め、「とにかく、もうやっちゃいけんよ!」というお説教で締めくくられた。


カマをかけられたのだ。「大人って汚いぜ...」子供ながらにそう思った。それ以降、カンニングすることは一度も無かった。





教育者として働く友人と、カンニングについて話したことがある。曲がったことが嫌いで、正義感の強いヤツだ。

自分が担当した生徒の中にも数人、カンニングする子がいたよと話していた。どう指導したのかと尋ねると、「とにかくズルだけはするな!ズルいことするような人間にはなるな!」と根気よく言い聞かせるんだ!と言っていた。

ほんまにそんなことでカンニングやめれるんかいねぇ〜と、話半分に相槌を打つ。

同僚の行いにも手厳しいこの友人。いつものように職場の愚痴を聞いていると、ある時、「でも君もその同僚と同じズルいことをしているのでは?」と思う話があった。

友人にはそれをやるに値する正当な理由があるようだった。「それ同じズルじゃない?」なんて言ったら、きっと腹を立てたことだろう。





音大に入ってからよく思っていた。「なんでこんなやつが上手くいんだろう?」

同級生や後輩に信じられないような事をするヤツだって、うまいこと偉い先生や力のある先輩と懇意になり、活躍の場を掴んでいく。

もちろん、自分の実力が足りないだけと言ってしまえばそれまでだ。

もっと上手くならなきゃ、結果を出さなきゃ。どうせなら、自分の好きな友人達、みんなで一緒に日の目を浴びたい。


二十代半ばのある時、「裏切られた!」と思った出来事があった。元気をだしてほしい。一緒に成功したい。その一心で助けたはずだった。

責める気持ちでいっぱいの心の中。その片隅でふと思う。「でも私、助けてって頼まれたっけ?」


このままじゃ誰かの踏み台なだけで終わっちゃう。それだけは嫌だ。私が誰かを踏み台にする必要はない。でも踏み台にだけはなりたくない。

それ以来、余計なお節介を焼くのはやめた。相手にメリットのある情報を持っていたとしても、簡単には口にしなくなった。平気な顔をして黙っていることもある。もしかしたら私も、「ずるいヤツ」なのかもしれない。




まともな社会人として会社勤めをしたことがないから分からないけど、どんな場所でだって、卑怯なこと・ずるいことは大なり小なり行われているだろう。

時によって、場所によって、「卑怯」や「ずる」は、「計算」や「戦略」という言葉に変身する。「奇襲」なんて最高に卑怯だけど、戦国時代じゃ歴史に名を残す「戦術」だ。



「卑怯」という言葉は重い。ちびまる子ちゃんの卑怯者として有名な藤木くんだって、親友の永沢君に「卑怯者!」と言われる度に、自問自答の負のスパイラルに入っていたと記憶している。

ただ私は言いたい。永沢君、君は本当に卑怯なことを一度もしたことがないのかい?



今回の大阪の高校生さんの件。家庭でのプレッシャー?学校の行き過ぎた指導?やった本人がただただ悪い?各所でいろんな意見があることだろう。

どこに責任があったのかなんて、そんなこと私には分からない。ただ一つ言えるのは、



チーン「若者よ!カンニングはやめとけ!」



背負うリスクに対して、メリットが大したことないのだ。答えを全部丸写しするならまだしも、正解が数問増えたところで、だからなんだという話。

しかもだいたいバレる。バレたらクラス中、学校中、ご近所中でヒソヒソされ「卑怯者」といえ不名誉な看板を背負うことになる。数問の正解と引き換えにするには、重すぎる十字架だ。


大きな試験でのカンニングとなると、なお悪い。バレたら即失格、停学、退学etc...だし、昔京大の試験でカンニングのあった時は、警察まで巻き込んだ大騒ぎとなったはずだ。

匿名ではあれ、全国ニュース。あまりにも割に合わない。解答のまるっと全部横流しは相応のメリットがあるって?それはもう犯罪だ、多分。





テストで答えが書けないのはつらい!気持ちはよく分かる。勉強の向き不向きだってある。努力は必ず実るなんて無責任なことは言えない。どうにもならん時もある。

できなかった時はできなかった時、しゃーない。切り替えていこう!

ずるだけはするな!なんてことも言えない。賢くやらなきゃ生き延びれない時だってある。


そもそも誰が始めたんだこんなこと!この世の試験という試験の全ての根幹、初めて試験制度を実施した極悪人はどこのどいつだ!



チーン「テストなんて滅亡しちゃえ!」





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お月様