深夜のバーミアン。
コトリ。とテーブルの真ん中に置かれた酢の小瓶を、神妙な面持ちで見つめる生徒たち。
「ここに酢の小瓶があります。」
「この酢の小瓶に美はあるのか。」
「ないんですよ。この酢の小瓶を美しいと思う我々の心に、美があるんです!」
たんだか良くわからないけど、とりあえず感心したように「あぁ」だとか「おぉ」だとか小さく声を出す生徒たち。
ことの発端は、指はよく動くけど演奏に情緒が無い(お師匠様的に)な生徒に、どうやったら"感性"を教えられるのか。そもそも"感性"とは人から教わるものなのか、という話からだった。
その晩のお師匠様の主張は、音楽そのものに"美"があるわけでなく、それを美しいと感じる感受性が大切、とのこと。
確かに、性善説・性悪説ではないけれど、生まれたばかりの赤ちゃんが音楽なり、絵画なり、風景なりに「美しい」という感覚を持っているのかは疑問だ。
子供が親の職業を自分の将来の夢にしたり、親の好きなものに自らも熱中していくのは、親から発せられる"情熱"とか、"これは素敵なものだ・美しいものだ"という感覚を受け取り、刷り込まれていくからだろう。
もちろん、後々刷り込みではなく自分の物として昇華していくんだろうけど、きっかけはそれだ。
もしかしたら、大人が子供に道端に生えるタンポポや夕焼けを指し「キレイだね」と伝えていくことは、想像する以上に大切なことなのかもしれない。
別に感受性が豊かじゃなくたって生きるのに何の問題もないが、いろんな事に、いいな!好きだな!と思えたほうが毎日が楽しい、気がする。
まぁとにかくなんだっていいんだけれど、「深夜のバーミアン」に「酢の小瓶」ってだけで、こんなに真面目な話なのに、なんだか滑稽に聞こえる。
「結局、酢の小瓶って美しいんでしょうかね!?」
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