その日はものすごーく疲れていた、んだと思う。


スイスにコンクールを受けに行って、審査員の高名な先生にけちょんけちょんのミソッカスに言われ、放心したままパリに帰ってきた翌日のことだった。


自分では普通にしているつもりだったが、様子がおかしかったんだろう。心配した友人が外で練習しようと連れ出してくれた。


家の近所にある音楽院で練習し、近くの中華屋で晩ご飯を食べる。


フランスには中華料理屋がたくさんあるが、お惣菜がたくさんショーケースに並んでいて量り売りで持ち帰れるし、その場でも食べれる簡単な中華屋は特にいたる所にある。


私はちょうど入り口近くでドアに背を向けて座っていた。20時45分頃。お惣菜を買い求める客が多く、人の出入りが激しかった。


注文し、席についてから食べ終わるまで15分弱。


外に出ようとして気づく。



チーン「?」



チーン「楽器ない?」



楽器がなかった。


向かいの席で硬直する友人。


よく探せと言われ辺りを見回しても、黒いリュックサック型のケース、それなりに大きい私の楽器がどこにもない。


その日は本当に疲れていたんだと思う。


いつもなら外で食べる時は絶対に足の間に楽器を挟んでいるのに、椅子の上なのか、自分の横なのか、どこに楽器を置いたのか全く思い出せなかった。


というより、音楽院を出て中華屋に行くときに楽器を持っていたかどうかすら思い出せなかった。


店の監視カメラは壊れていた。向かいに座っていた友人も周りの客も、何も気づかなかったそうだ。音楽院に戻って探してもみたが、どこにもなかった。


重さ5kgほど。合わせて定価200万ほどの2本のクラリネットが入っていた私の楽器ケースは、忽然と姿を消したのだった。



盗難届を出しに行くと、警察官に爽やかな笑顔で「頑張って!」と言われた。


翌日先生に会いに行くと、楽器が盗まれたことより審査員にけちょんけちょんに言われたことの方を心配して慰めようとしてくれた。


盗難の話は、



チーン「魔法みたいになくなりました!」



というと、

 

「それが仕事なんだから当たり前でしょ!」



の一言で終了した。


盗まれるのなんて、フランスでは日常茶飯事なのだ。


夜の通りを楽器を探しながら歩き回っている途中、なんだかフワフワした不思議な気分だったことを覚えている。


もちろんショックは受けている。いつか財布かスマホはやられるだろうと思っていたが、まさか楽器が一番最初に盗まれるとは思っていなかった。


それでも、どこか開放感を感じている自分に気がついていた。




大学に入ったばかりの頃のレッスンで、お師匠様に言われた言葉がある。



「自分よりよく指が回る人も、いい音で吹く人も、世の中にはごまんといるんです。それでも、自分にしかできない何かを探すんですよ。死ぬまで探し続けるんですよ!」



音楽家に定年という言葉は無意味だ。もちろん教えている学校や所属団体での定年はあるが、本人が望む限り音楽は続けられる。


実際、御年80歳になってもステージに立ち続けるレジェンド達の数は少なくない。


お師匠様のこの言葉を聞いたときから、なんとなく自分も死ぬまで楽器を吹くのだろうと思っていた。


「吹きたい」から「吹かなければ」の焦燥感に変わるのはすぐだった。


大学に入ってからは、いつも何かに追い立てられていた気がする。楽器を持たずに出かけると、罪悪感でいっぱいになった。


いつからか、いつも背負っている5kgを重い十字架のように感じていたのかもしれない。


その、肩にのしかかる重みが今無くなった。


今、どんなに望んでも私は楽器を吹けない。


衝撃だった。自分の人生に楽器がない瞬間があるなんて、想像もしていなかった。


大学入学後にお師匠様に選んでもらい、約10年苦楽(苦多め)を共にした楽器を、神様が私の苦しみと一緒にどこかへ持ち去ってくれたような気がした。



結局、盗まれた翌日の午後には楽器が手元にあった。懇意にしていた楽器屋さんが貸してくれたのだ。


楽器が吹きたくても吹けない時間は、24時間にも満たなかった。






楽器は盗まれてしまった。でも、それで良かった気がする。


そんな気持ちを一生懸命説明しようとしたが、母はとにかくショックで動揺していてそれどころではなさそうだった。


仲の良い友人も、気をつけなよ...と呆れるやら心配するやらで、あまり理解されなかった。


それでも心はスッキリしていた。


わたしは今自分の意志で楽器を吹いている。


昨日までと変わらない練習をしながら、昨日までの自分とは違う自分がいることを、確かに感じた。



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お月様