志賀理和氣神社
(しがりわけじんじゃ/しかりわけじんじゃ)
【鎮座地】
岩手県紫波郡紫波町桜町字本町川原1
【御祭神】
経津主神 (ふつぬしのかみ)
武甕槌神 (たけみかづちのかみ)
【合祀】
大己貴神 (おおなむじのかみ)
少彦名神 (すくなひこなのかみ)
保食神 (うけもちのかみ)
猿田彦神 (さるたひこのかみ)
船霊神 (ふなだまのかみ)
【創建年】
(伝)延暦23年(804年)
【別称】
赤石神社、浮島明神
【創建(Wikipediaより)】
社伝では、延暦23年(804年)に坂上田村麻呂が、東北開拓守護神として経津主命(香取神)・武甕槌命(鹿島神)を勧請したことに始まるという。
9世紀初頭において、一帯では志波城造営(803年)・斯波郡(紫波郡)建置・徳丹城造営(811年)などの開拓が進んでおり、当社も蝦夷平定の報謝と一帯の鎮護のため、その時期に創建されたと見られている。奥羽の式内社では地主神を包摂しつつ中央神を勧請して創建される例が多いが、当社がその場合にあたるかは明らかでなく、神名「志賀理和気」の由来も定かではない。
日本最北端に位置する式内社として知られる。
さてさて、奥州巡りも無事に終えた所で、是非行きたかった場所はこちらの志賀理和氣神社。
【鳥居と社号標】
境内社-赤石天満宮(左側)
境内社-坂下稲荷神社(右側)
境内社-小野藤稲荷神社
右の社には男根の奉納物。道祖社ですかね。
左の小さな社には、よく見なかったのですが観音様の白い像が祀られてます。
【石碑群】
【霊石】
(赤石の画像はネットから拝借しました)
「赤石」の由来
天正(1573-91)の昔、郡下六十六郷の領主斯波孫三郎詮直公が北上川で遊覧の折 川底に赤石の大石を見て紫色の水波に漂ようその美しさに感有って一首を詠じたという。けふよりは 紫波と名づけん この川の 石にうつ波 紫に似て この地方はこれまで子波、斯波、斯和、又は志和と地名の変遷をみているが、以来「紫波」と改まり当社もまた通称赤石大明神赤石神社・赤石さんと親しまれ今日に至った。 詮直公によって引き揚げられた「赤石」は爾来御本殿の後方に奉安され、霊妙あらたかなる霊石として崇拝されて来た。 昭和59年11月当社御創建1180年記念事業で現地に奉遷されたものである。
【御朱印】平成30年9月6日(木)拝受
授与所にてサービスで赤石の御守りを頂きました。遠方からの参拝者限定みたいです。無料で頂けるのはありがたいですね
最後までご覧頂きありがとうございます。