四天王プロレス確立前,『打倒(完全無欠のエース)ジャンボ
鶴田』を掲げて結成した超世代軍
左から後の四天王:三沢・小橋・川田の3人※前列しゃがんでいるのは菊池
四天王プロレスの中心だった三沢は,試合中に非業の死を
遂げてしまいました・・・
社長として団体を牽引していく身となり,四天王プロレス
時代と違い,主力選手として試合だけに集中できず,写真の
様な動きやすい体型とコンディションを維持できず,長年の
ダメージと疲労が積み重なり遂に限界点を超えてしまった
のが死因と言われています・・・
〇2009年6月13日(土) 私の地元広島・夜のニュース冒頭で訃報
愛娘とブックオフ散策中,三沢が表紙の本を発見
内容は三沢本人が2005年11月~2009年1月1日までの期間に
書いてWeb配信した85日分の日記でした
試合展開は専門誌で取り上げられるので触れず,各地を巡業
する様子や試合後の深刻なダメージを振り返っています
2006年12月,かつての付き人がチャンピオンとなり世代交代
を迫り三沢が挑戦者に逆指名された一戦で踏ん張り王座奪還
翌2007年1月の初防衛戦は鶴田以上の巨体を誇る森嶋 猛
今も試合は覚えていますが,開始早々に森嶋が奇襲を仕掛け場外
に三沢を放り投げ巨体のボディアタック 三沢を休ませず引き
ずり起こして薄いマットに渾身のパワーボム 受け身が取れず
腰と後頭部を強打した三沢は深刻なダメージを負う・・・
リングに戻っても思うように体が動かず,辛うじてカウント3
を凌ぐ苦しい展開の連続 体が動くようになるまで耐え凌ぎ
最後は決め技の1つ渾身のエルボーを打ち抜き激勝
日記に書いてあった試合後の様子
・覚えてるのは場外パワーボムを喰らったところまで・・・
・意識が戻ったのは控室で慌てふためく声をかけられて
脳震盪で無意識のまま闘い続けてた
2007年は王座を守り抜き,見事プロレス大賞MVPに輝く
※年間最高試合は何度も受賞しているのにMVPは初
楽しく読み終わり,週末日課の筋トレ ランニング(昨夜
は雨降っており室内でテレビ見ながら足踏みマシン) 素振り
洗濯 掃除 しっかり実行してます~
とても心地良く清々しい気分で週末を過ごしています