今日はクリスマスイブです。
ご存じの通りクリスマスはキリスト教のお祭りです。

キリスト教の開祖であるイエス様の誕生日と言われ、キリスト教では年間最大のお祭りです。

ですから、当然キリスト教の国では盛大なお祭りが催されていますが、敬虔な仏教国やイスラム教の国ではお祝いはしないのでしょう。

日本ではどうかというと、特にキリスト教信者が多いという訳でなくましてや、国教なのではないのですが、国中がクリスマスのお祝いムード一色です。

信者でもないのに、なぜかこのシーズンになると子どもたちはキリスト誕生の絵本を読みイエス様を讃える歌をみんなで歌います。

恐らくこんな国は世界中で日本だけじゃないだろうか。

僕たちにとっては普通のことで日常でありすぎてあまり深く考えたことがないが、よく考えてみると何をお祝いしているのだろう?

元の趣旨の深いところよりも表面的なところから簡単に取り入れる

これは日本人のうまいところです

なんでも外から入ってくるものに関して偏見なく取り入れ、いつの間にか自分のものとする。

明治以降短い時間の中でクリスマスがいかに日本人の心の中に浸透したか

きっとすごいことだと思います

毎年このシーズンになると日本人のアイデンティティについて考えてしまいます。















2012年12月21日はマヤ暦で云うところの世界最後の日であるそうです。
必ずどんな宗教にもその宗教に即した世界観があり、終末観があります

宗教は人々に夢や希望を与えると同時に規則や戒律(道徳や倫理観も含まれる)を強いるものであるとしたら、終末思想と云うものは、ある程度必要なものであり、かつ有効なものなのでしょう。

それは理解できるとして、今回のマヤ暦の地球最後の日ですが、これはかなり眉唾な物と言わざるを得ません。

識者の話を読んだりする限りにおいては、これは暦の終わり(世界の終わり)ではなく、暦が一巡して、また新たな暦が始まるという位置付けのようです。

宗教における時間軸の考え方には一本の直線上にひたすら進むものというよりは輪になっている(ループしている)というものの方が多いように思います。

日本人に馴染み深い仏教でも十二支や十干という暦の考え方があり、60年でひとつのサイクルが終わり、新しい暦が始まります。
まさに還暦なのです。

今回のマヤ暦も還暦なのだと考えると、とても分かりやすいように思います。

つまりお祝いをする日なのであって悲観したり絶望したりする日では決してないということなのです。

実際南米各地のマヤの子孫の人たちは、特別な儀式を行ってお祝いをしたとニュースにありました。

しかしどうも世界各地では、いろいろ騒動になっているみたいですね。
ロシアでは核シェルターに入るツアーがあったり、ヨーロッパでも聖なる山に人々が逃げているみたいです。

中国では終末を悲観した男性が小学校に乱入し子どもたちに切りつけるという痛ましい事件もありました。

今やインターネットの時代でちょっと調べれば、どういうことか、事の真相なんて簡単に調べられると思うのですが、どうして人はいとも簡単にこんなオカルトを信じてしまうのでしょうか。

人類は精神世界的には古代、中世から何も変わっていない、何も成長していないのかもしれません。

有史以来こんなにも長きに渡って考え方が変わらないのはこれが人間の本質的な部分だからなのかもしれません。

何か得体のしれない人間ではどうしょうもできない絶対的なものの存在を作り出すことで、人々は自然を畏怖しながら生きてきたのでしょう。

そう考えれば、古今東西全ての民族、部族に宗教的考え方が存在することが理解できます。

絶対的なものを畏怖しすぎるあまり恐怖の中で生きていくより、宗教を心の寄りどころとして夢や希望の中で生きていく方がより豊かに生きていけるような気がするのですがどうでしょうか。




3年間ブログを放置してました。

また少しずつ書いていこうかなと思っています。

これから宜しくお願いします。




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