はじめましての方へ➡ こちらへ 
10年専業主婦⇒ 海外でアパレルマーチャンダイザー⇒某日系商社グループ
⇒現在、日系専門商社で勤務中。
現在、起業に向けて準備中ブーケ2
 
休みの日はあっという間。
 
「人生の転機」というテーマを師匠に与えられて
自分が辿ってきた
今までの人生を何気に振り返っていました。
 
わたしが3歳頃と小学生の頃の写真。
 
そして、今は亡き母と弟が
写っていた写真が目に入り
 
15年前に弟に関することを
わたし自身が書いた
亡き弟への想いを見つけました。
 
よかったら読んでください。
 
 
正直、長文です。
 
元気だった弟が
一流上場企業の会社工場で即死。
 
 
会社と裁判で戦おうとしたわたしの
回想録でもあり
弟に向けて書いたものでもあり
 
 
ようやく言葉することが
できた時のものです。
 
 
時々、「熱いヒト」と
言われることがあるのですが
このことも大きいかもしれません。
 
ーーーーーーー
 
〜亡き弟へ〜 
 
ね。
こどもたち 
大きくなったでしょう?
ーーーーー
わたしは、
ひととおりの家事が終わると
 

いま、ひとり...
ゆっくりと
弟の事を思い出しては
 

弟が生きていた時の事
事故の事...
それから、
起こったことを思い返しています。
 
 
幼少期は、とても仲のいい姉と弟で
わたしのおままごとや
遊びによく付き合ってくれ
小学校くらいまでは、よくわたしについて
友達の家にも遊びに行っていたよね。
とても可愛い弟でした。
 
 
小さい頃、よく一緒に遊んだね。
ヒーローごっこや
わたしのおままごと遊びにも
どこへ行くにも
わたしについて来て
 
 

母が

「わたしの言う事よりも
 お姉ちゃんの言う事の方が
 よく聞くのよ!」
 

と、近所のおばさんに
話していた事を思い出す。
 

いつ頃からか、
一緒に遊ぶということもしなくなり
 

生活パターンや時間もかわり、
あまり遊ぶとか
話すということがなかった
わたし達...
ケンカだけはめいいっぱいしたけれど(笑)


わたしが海外に
出るようになり
ますます話すこともなかったっけ...
 


わたしが結婚したい相手
(今のだんな)がいること
 
 

そして、お腹の中に
すでに新しい命が宿っている事を
始めて両親に打ち明けた時...


その、いろいろあった後

後から
弟がわたしの部屋に入ってきて
こう言った...
 

頑張れよ!

 おやじやお袋がなんと言ったって
 生んだらいいやんか!
 一緒になったらいいやんか!
 応援してるからな...」
 

と言ってくれた。

この時の言葉が
どれだけうれしかっただろう。
どれだけ励みになっただろう...
 
 

その後
わたしは香港に来た。


その後、むすこが生まれて
日本に帰るたびに
むすこをかわいがってくれ


むすめが生まれてからも
面倒をよく見てくれた。
むすめは日本での出産だったので
ほんとにたくさん助けてもらった。


大人になっていろいろ話す事も
始めて出来たし。
 

旅行にもみんなで行ったし
家族という時間を
あらためて楽しんでいたと思う。

大人になって
自分の弟が
あなたであった事が
本当にうれしく、
よかったな~
とあらためて思えた時期。

*****************************

5年前の11月18日(当時2006年)。
日本の母とわたしは電話で話をしていた。
取り留めのない話と
弟の話だった。


「弟は今さっき、
 仕事に行ったばっかりだよ!
 元気!元気!」
 

母との会話の中から
弟と母がどんなやり取りをし
何を会話していたのか
手に取るように分かった...
 

「よかった...」
 

その後電話を
切ったのだが...



先日の電話から
半日もたっていない
早朝の電話で起された...


時間は思い出せないけど、
明け方だったと思う。


父からだった...
 

「ひろみか
 弟が...
 死んだんや...
 今すぐ、日本に帰って来い...」



父が状況や何が起こったかを
話してくれたけど
何を言っているのかの見込めなかった。


ただ、涙があふれてあふれて
止まらない...
父の話し振りから
それが本当なんだと言う事が
飲み込めたんだと思う...


その日のうちに
だんなさんにチケットを
用意してもらい
香港から日本にとんだ。


ただただ
涙が止まらず
2人の子を連れて
実家に戻った...


実家には弟がいた。


でも、
もうしゃべることも
笑う事も
息をすることもない...


生き返ってくれないか...
奇跡が起こらないの...
ねえ、神様...


それは、聞かれなかった...

*******************************

事故は、会社工場の中で起きた。
 

巨大な機械の怪物の
オペレーターをしていた弟。
 

機械が好きで
この仕事をしていた。
 
 
なのに


その日、止まるはずのない機械が
突然停止し、



今度は、
チェックに入った弟に
 

5トンという機械が
突然作動し
弟に直撃する...

********************************
 
その後、この会社に
もちろん監査が入ったし
警察も調べてくれた。


けど、一流上場企業の
裏側にある汚いところを
見せ付けられた。


遅まきながら始めて見た

企業という
会社を守るということを第一優先にし

会社が
社会が一体になって
 

ばれては困ることに
秘密を守るシステム...


裁判で戦ってやろうという
気持ちが出てきて
いろいろ調べたが


大きなモノに
巻かれようとしないモノに
対する勝利は0(ゼロ)に近い...
それでも...
やらなきゃ...


しかし、
 

わたしが戦おうとしても
わたしはいつも日本にいる訳にはいかない。


日本にいる両親に
それだけの体力があるのだろうか...


はたして弟はそういうことを
望んでいるのだろうか?


NOだと思った。


会社の上司、
同僚はいい人達ばかりだった...
よくしてもらっていた。



この事故から随分経って
会社からの圧力を受けていた何人かは
(この事故の事で)
やめたらしい…

************************************
5年が経ち...


あの時の胸が張り裂けるような痛みも
怒りも憎しみに近い思いも
今はない。

弟とのいい思い出が
たくさん
溢れるほどにでてくる。


彼が愛した人達。
彼と共にいてくれた人達。
彼と時間を共有した人達...


いまもお墓に行くと
たくさんの花と
弟が好きだった
ビール、タバコ、モノ
を置いて行ってくれる
人達。


彼は生きている間に
たくさんの人と出会い
いろんなものを見て
経験して
愛して
楽しんで

時には、くるしかったことも
悲しかった事もあるだろう


でも、生きてこの世に生を受け
生きて来れた事に
両親に感謝してると思う。

わたしもあなたに教えられた事が
たくさんあるよ。

わたしは生きている...

生きている事に素直に感謝できるのは
あなたの事があったからかもしれないね。


もちろん生きていて
いやな事もつらい事もある。

でもね
家族で一緒にいれること
何気ない日常が
かけがえのない
もののように思えるよ。

大切なものはそんなに多くはない...
本当に大切な事は...
ここにあるでしょ
...と


今は亡き愛する弟


あなたのかわりに
生きる事は出来ないけど


あなたの分も
2倍も3倍も太く長く生きたい
って
思うのは欲張りかな?

あなたの事を
今日、ゆっくり思う事が出来て
なんか、いい日です。

窓から入る木漏れ日が
今日はやけに優しい...
 
2006年11月 by Me
 
 
2006年に書いた弟への想い。
今も想うことは多々あります。
 
 
でも、あの時に想った
弟の代わりに生きることはできないけれど
 
彼の2倍も3倍も
太く長く生きたい
という想いは今も変わらない。
 
 
では
 
 

ピンク薔薇人間関係で悩まされた時も。笑

 

 

ピンク薔薇これってと〜〜っても大事なことラブラブ

 

ピンク薔薇失敗はイヤだけど、失敗からは学ぶことが多いですコスモス

 

 

 

 

ブーケ2ブーケ2ブーケ2主婦からキャリアトップになったRomiのヒストリーブーケ2ブーケ2ブーケ2

ピンク薔薇10年以上のブランクからの再就職奮闘記ピンク薔薇

今までのお話:
1)専業主婦が働くことを決心する時。わたしの場合。  
2)履歴書の書き方がわからない…
3)人の出会いとつながりは宝もの❤︎
4)14年以上ぶりの面接
5)仕事を教えない先輩
6)究極の選択.昇進かあきらめるか
7)女にはムリと言われたくなかった。はじめての管理職と海外プロジェクト
8)母の癌と義母の痴呆症で大好きな仕事を退職
9) お仕事人生に影響を与えた二人の社長
10)大きな決断!退職の意向を会社に伝えました
 

 

 

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