あくまで現時点でのできる事や気づいたことを書いているだけなのだが、今回は少し未来の話。

この図で真ん中の中心帰納の部分は無でもよい、いや、最終は全て無で終わる。

少し具体的言うと動きの質は観想でかなり変わる、そしてそれは身体操作ともいえる、当然こなれてくれば身体操作をしようとことさら思わずやっている、観想も同じ、特に何もしなくても観想を伴うものと同じ質になってくる。

 そうなると思わざるのハタラキがでてけりをつけることになる、結局は無になる。

おしまい