部屋のパソコンでネットを眺めているとドアが開いて、監督が入って来た。
珍しいな。
いつもならもう寝てる時間なのに。
「どうしたんスか」
そんな俺の問い掛けには答えず、監督は黙って膝に乗った。
うわ!
珍しい、なんて思いつつ口には出さない。
余計なことを言えば簡単にどっかに行ってしまう気がするからだ。
俺はなんでもない顔をして、視線をパソコンのモニターに、右手はマウスへ、そして左手で監督の頬から耳をそっと撫でた。
監督は目を閉じたまま、軽く押し付けるように返す。
ああ、眠いのか。
俺は話し掛けることを止め、放っておいた。
ジーンズの厚手の布越しにも、じわりと体温が伝わる。
それがだんだんと熱くなっていった。
うとりうとりとする監督をあやすみたいに優しくなでる。
パソコンを眺めながらも、俺の意識の半分は膝の上の重みに乗っかっていた。
俺といえば、サッカーをして、家に帰って、寝て。
そりゃあチームメイトと遊びに行ったりすることもあるけど、おおよその毎日をそんな感じに過ごしている。
そしてこんな静かな時間には時折、監督がやって来て、俺によっ掛かってくる。
そんな時は決まって
『すごく満ち足りたような』ってこういうことなのかな
なんて考えたりするんだ。
一人で暮らしだったら、どんな風に過ごしているのかな。
俺は一人の部屋を想像した。
だめだ。
監督がいないとこ、想像できないや。
俺がETUの寮を出てすぐ、一緒に暮らし始めたから。
高校からは寮暮らしを始めた。
でも、それまでずっと親と暮らしていた。
家を出るのが決まった時には、一人で(いや、寧ろ団体生活か)暮らす自分を想像できなかったのと同じかもしれない…わ!
考えに耽っていたら、無意識に体を動かしちゃったみたいだ。
俺の上の監督の体がグラリと揺れた。
俺は大慌てで、それを支える。
「…セーフ!」
声にならないくらい小さく、俺は呟いた。
監督はぐっすり眠っているようで、クークーと小さく寝息を吐いている。
かわいいなあ。
平和な寝顔を見ていると自然に優しい気分になるのが、自分で分かる。
あと、わかっているのは、俺は監督と暮らせてよかった、ってことだ。
これだけぐっすり眠っているなら、ベッドに運んだ方がいいのかな。
少し位動かしても、今なら監督の目は覚めない気がする。
そうは思うんだけど。
でも、動けなかった。
何と言うか―もうちょっとこうしていたいなあ、って気分が勝利したからだ。
いつものことなんだけど。
体重を預けてくる重みも、体温の熱さも、ただ嬉しい。
俺はやっぱり体を動かせずに、パソコンを眺めていた。
「……で、椿くんはそのまま3時間そのまま椅子に座ったままだったと」
「そうなんす。膝に乗られると動けないですよ」
俺の話に世良さんは呆れ顔だ。
なんとか俺の喜びを分かって貰おうと、説明を続けたものの、どうしてだろう。
呆れたってより、可哀相って感じの雰囲気が強くなってきたように感じるのは。
「監督が俺の横で丸まったりとかも珍しいのに、膝の上で寝てくれるなんて、もう、奇跡っていうか!」
だから動けなくても仕方ないです、と結論づけると世良さんは、俺の肩をポンと叩いた。
なんだろう、この哀れみに満ちた目は。
近くでスポーツドリンクを飲んでた丹波さんが、俺たちに話し掛ける。
「世良あ、しゃーないだろ。『監督』は『ツンツン』だからな。『デレ』が皆無なの。椿のささやかな幸せなんだから喜んでやれよ」
「良かったなあ、椿ぃ!」
「イテっ!イテッす、世良さん!」
今度はバンバンと背中を叩かれた。
い、痛い…。
「監督が『ザッキー』みたいなタイプなら良かったのにな。あいつなら甘えてくれるだろ」
「えっ」
「ザッキーって、王子んところの猫でしたっけ」
「そ。あいつはすごく人懐っこいからな」
丹波さんは、ほぅっとため息をついた。
丹波さんは俺のうちで彼のなつっこさに驚いていたから、気持ちは分かる。
俺もあの人懐っこさにはびっくりしたけど。
猫って、あんなに人にくっつくんだって。
でも。
「か、監督はかわいいんです!」
俺は、力を込めて言った。
他の猫だってかわいいけど、やっぱり一番かわいいと思うのは監督だ。
うん。絶対に、かわいい。
監督が簡単にすりよらないってことだけを取らまえて、みんなに監督はかわいくないなんて思われるのは心外だ。
誤解だといっても良い。
俺の言葉が足りないのが悪い。
誤解を解くべく口を開いたけど、やっぱり二人の視線には同情の色がうかんでいる。
だめだな、これ。
「はぁ…」
自宅へ帰って監督とご飯を食べていても、昼間のことを思い出して溜め息が出てしまう。
「どうしたんだ。うっとおしいな」
「どうしたら、監督がかわいいって分かって貰えるのかな」
「そりゃ光栄。つってもお前は考えるの苦手なんだからさ。悩むとろくなこと考えつかないぞ。ま、俺の言ってることわかんねーだろうけどさ」
「…監督、慰めてくれてる?」
「いや、別に」
「監督~~!」
「なにすんだ!」
心細くなって思わず監督を抱きしめようとしたけれど、監督はひらりとかわしてどっかに行ってしまった。
だめか。
いや、そうなるだろうなって分かってたけど。
俺は黙って自分の席に座り直し、茶碗と箸を手に持った。
あーあ。
しばらくすると、キィとドアが開く音がして、監督が戻ってきた。
椅子の横に置いた小さな台を使って、上手にテーブルへ上がる。
ほっとした。
昔に怪我をしたことがあって、監督は登ったり降りたりするのがあんまり得意じゃないんだ。
家の中の段差にはだいぶ慣れてはいるけれど、そういう場面を目の当たりにすると、今でも思わずハラハラしてしまう。
「めし、途中だった」
「さっきは驚かせてごめんね」
「別に。それよかさ」
監督が何か言いたげにこっちを向いたので、俺は監督のことをみつめた。
誰も信じてくれないけど、監督って絶対俺の言うことを分かってくれてるんじゃないかなって思うんだ。
だからといって俺の言うことを聞き入れてくれるわけじゃないんだけど。
「かわいいとかってさ、俺は椿がそう思っててくれればいいから。他の奴にはどうとでも言わせとけ」
あれ、なんだろ。
俺は監督の言うことは分からない。
だけど、じっと俺の方を向いて何か伝えてくれることは分かる。
なんか、嬉しいな。
「あ-…ありがとう!」
それは素直な気持ちだった。
そして声にすると、どんどん嬉しいっていう気持ちが沸いてくる。
監督はそれには答えずに、ご飯を食べ始めた。
俺はその様子を見て、嬉しいのと、ただかわいいなあ、という気持ちでいっぱいになった。
…なってしまった。
「監督!」
「うわっ、なにすんだ!」
おかげでご飯を食べる監督に、また抱きついてしまい、また監督は慌てて逃げ出してしまった。
後の祭りだった。
その日はもう、監督は1メートル以上俺に近付くことはなかった。
あーあ。
※ニャンとWonderfull!シリーズ(?)です。監督は猫です。椿は猫の言葉は分かりません。監督は人間の言葉は分かります。