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為末 大 @daijapan
おはようございます。今日は【予防としての負け】について
勝ち負けが全てという世界は、負けた人が極端に傷つくからなるべく勝敗をオブラートに包む。勝ち負けをはっきりさせないように、負けた人のプライドに配慮してシステムを作る。でも現実の世界に出ると、競争せざるを得ないからいくら隠しても勝敗が滲み出てしまう。
負けははしかのようなもので、どうせかかるなら早い方がいい。大人になって今更人には聞けない、今更頭は下げられない、という感覚が出てくるけれど、人生を進めば進むほど負けのショックが大きくなる。そして特に初めての負けは一番ショックが大きい。
スポーツをやっていると、 目指そうとしている目標が高い人ほど、基本的に努力は無に帰する。頑張っても報われないけど、たまに報われる時がある。その位のバランスで努力している。 負けにうぶな人は頑張れば報われると信じていて、報われなかった時に免疫がなくて心が折れる。
みんな同じ、やればできる、願えば叶うという夢の世界からは、いつか醒めないといけない。もしこの夢から覚めるタイミングを逸すると、現実世界が極端に厳しく感じられて、狭まった範囲や自分の世界でしか生きられなくなる。 無菌状態でしか生きられなければ世界は狭まる。
スポーツのスターや人生の成功者には時々、この夢の世界観のまま成功する人がいる。そして日本人はこの成功例が大好きで、その成功の秘訣がみんなに適応できると信じてしまう。最初の夢で進める人や、努力が叶った人は稀。例外をそのまま信じれば何かが狂う。
ああ、負けてももう一回やればいいんだ。違ったと思ったら別の世界に行ってもいいんだ。こういう感覚を学ぶにはやっぱり実際に負けてみるしかない。挑んで、負けて、立ち上がる。特にこの立ち上がる所で自己肯定感が磨かれる。
僕は日本のシステムは初めての負けのタイミングが少し遅いと思う。それから立ち上がりのサポートも少ない。もう少し早めに負ける機会があって、でもそんな事たいした事無いと思わせてくれる仕組みがあれば、もっと人生の幸福度が高まると思う。
勝って得るのはプライドで、それは負けたら全部無くなる。 立ち上がって得るのは自己肯定感で、それは一生無くならない。
敗者復活システムがないですよね
高校野球で頑張っても怪我したらそれでお終い
プロに入れたとしても泣かず飛ばずのこともある
首になれば再就職先もほとんどなく
野球に我武者羅でまともに勉強もしてなければ
一般常識もなくてドロップアウトするだけだったり…
もちろんこれはあらゆるところであるわけで
スポーツも芸能もトップは一握りでしかも短命だったりする
セカンドライフの方がずっと長いのにノーチャンスのことだって
大人たちは失敗させる勇気を持つべきかも