恩人裏切り墓穴掘った首相 | 平野幸夫のブログ

平野幸夫のブログ

ギリシャ語を語源とする「クロニクル」という
言葉があります。年代記、編年史とも訳されま
す。2014年からの独自の編年記として綴りま
す。


大方の予想通り、横浜市長選で菅義

偉首相が肩入れした与党候補が惨敗

した。足下に火がついても、依然、衆

院解散を目論む首相。自分の敗因さ

え分からないその暗愚に言葉を失う。

有権者は首相の酷薄な性情を見抜

いていた。政治家人生で最も大切に

すべき恩人の言葉に背いてきた「裏

切り」に、因果応報のならいを首相

に見せつけるような地元有権者の

選択だった。

今回の選挙を象徴するような場面だ

った。野党の山中竹春候補の圧勝を

うけて、傍らにいた「ハマのドン」こと

藤木幸夫・横浜港湾協会会長はこう

言い放ち、陣営の支援者らから大き

な歓声がわきあがった。

「スガはもうきょうあたり辞めるんじゃ

ないか。辞めなきゃしょうがねぇだろ

。これ本当に。電話がかかってきた

ら『辞めろ』っていいます。私は…」

藤木氏がなぜこれほどまでに菅首相

を罵倒するのかを知るには、両者の

長い恩讐の歴史を語らなければなら

ない。約50年前、秋田県の農家から

家出同然で上京した菅首相は法政

大学を卒業してもすぐ就職先がなく

、やがて横浜の小此木彦三郎衆院

議員宅に書生として転がり込んだ。

このとき小此木氏を支援した藤木会

長の父親の藤木幸太郎氏が菅氏に

票集めの仕方を教えた。

当時の幸太郎氏は神戸の暴力団山

口組の田岡一雄三代目組長と親交

をを結んだ人物で、港湾荷役の利権

を一手に握っていた。やがて書生か

ら市議をめざした菅首相は幸太郎氏

から支援をうけて、横浜政界の実力

者にのし上がって「陰の市長」とも噂

された。いつの間にか小此木氏の地

盤を奪うように衆院議員に当選し「恩

人に背いた」と非難された。この姿を

ずっと見ていたのが幸夫会長なので

ある。

幸太郎氏の後継者になった幸夫会

長はやがて横浜経済界の実力者に

なって横浜FMの社長などを務めた

。その幸夫会長が最も許せなかっ

たのが、菅首相がぶち上げたカジ

ノ計画である。「俺の目が黒いうち

は埠頭をバクチ場にはさせない」と

公然と首相を非難し始めた。

首相はこの恩人の言葉にまったく耳

を貸すどころか姑息にも、当初カジ

ノに賛成していなかった林文子市長

に圧力をかけ、計画推進に動いた。

幸夫会長はさらに激怒、今回カジノ

反対を掲げた野党候補支援に転じ

たのである。首相が支援した小此木

八郎前国家公安委員長は唐突にカ

ジノ推進を引っ込めたが、有権者の

多くが菅首相の圧力による選挙後の

翻意を見抜いて、いた。山中候補圧

勝の一因には恩人を裏切る菅首相

の信望のなさがある。

「菅NO」という審判で惨敗したのに

、菅首相は自らの判断による衆院解

散を急いでいる。9月29日に自民党総

裁選の投票日が決まり岸田文雄氏

が出馬表明、自分の不人気から「負

けるかも」と焦り始めたように映る。

総裁交代以前にイチかバチかの解

散に出た方がまだ延命の可能性が

高いと判断したと推察できる。しかし

、先週末行われたという自民党の選

挙情勢調査は衝撃的な数字が出た

と伝えられた。

このまま解散になれば、自民党は40

議席を失い、最大60から70議席減ら

し、現有276議席から単独過半数

(233議席)を大きく割り込む可能性

が出ているという。新型コロナウイル

スに対する無策と機能不全によって

、失わなくてもよい多くの命が奪われ

いる惨状を見れば、当然の調査結

果だろう。

与党を悲観的にさせる数字を見れば

、いくら菅首相でもきっと疑心暗鬼に

かられていることだろう。中国の古典

「史記」にこんな言葉がある。確信を

欠いたあやふやな行動は成功や名

誉をもたらさないという意味だ。それ

が「自爆解散」の末路かもしれない。

「疑行は名なく、疑事は功なし」

               【2021・8・26】