何げない日常の有り難さは「コロ
ナの時代」だからこそ余計感じる
ことが多い。「幸せとは何か」を
、しみじみ考えさせる映画に出会
った。西川美和監督の最新作「す
ばらしき世界」は人間の美醜を描
き切って、自分の日々生活のあり
様を深く沈思させる。フランスの
哲学者、アランはその著書「幸福
論」で「私たちが自分の愛する人
たちのためになすことができる最
善のことは、自分が幸せになるこ
とである」と述べた。壁にぶち当
たって悩んだ時、この映画はアラ
ンの教えと同じように再生への希
望や勇気を与えてくれ、ずっと心
に残る。
今の時代になぜヤクザ映画なのか
と当初思ったが、原作が直木賞作
家、佐木隆三の実録小説「身分帳
」と知り、映画館に足を運ぶ気に
なった。名作「復讐するは我にあ
り」の著者である佐木さんとは金
沢勤務時代、一度ランチをご一緒
したことがある。その時、時効寸
前に捕まった福田和子被告の逃亡
心理を取材していた佐木さんは、
福田被告が宿泊したビジネスホテ
ルの枕のタオルが涙で濡れていた
理由を知ろう丹念に取材を続けて
いることを明かしてくれた。事件
の担当記者の紹介しか手伝えなか
ったが、社会の実相を犯罪者心理
を通して描く手法に敬意を抱いた
記憶がある。
この映画の主人公、三上正夫(役
所広司)は衝動的に抗争相手のヤ
クザを殺し16年服役した元受刑囚
で、その更生に向けた生き方が描
かれている。社会の規範は元受刑
者に冷淡で、三上は到る所で不当
な扱いを受け、破れかぶれになる
。それでも弁護士、ケースワーカ
ーらが懸命に諭しながら支援する
。一つ一つのシーンが身に迫って
くるのは、三上が感じた理不尽な
壁は、形を変えて誰もが同じよう
な逆境を抱えているからだろう。
就職の難しさ、不当な手当て、学
校や職場でのいじめや差別、同調
圧力……。
アランは「幸福は力んで求めるこ
とでなく、日々の振る舞いによっ
て少しずつ積み重ねていくものと
」説いた。そして「怒りと絶望は
まず第一に克服しなければならな
い敵である。それには信じなけれ
ばならない。希望を持たなければ
ならない。そして微笑まなければ
ならない。そうしながら、仕事を
しなければならない」と説いた。
挫折しそうになった三上は九州の
昔のヤクザ仲間に身を寄せる。そ
こで出会った組長の妻(木村緑子
)から「戻ってきたらあかん。も
う『広い空の見える世界』を知っ
たんだから」と諭される。この映
画の最も秀逸なシーンだ。木村の
演技にはすごみがあり、勝手に助
演女優賞をあげたくなった。そこ
からはアランの教えと重なるよう
に、東京に戻った三上は、支えて
くれる人の思いにも応えながら働
き始める。そして、生活に手応え
を感じる日々が続いた。誰かとつ
ながっている喜びが映画のタイト
ルになった。結末もけっして望み
どおりにならない人生そのものだ
。
5年がかりでこの映画を制作した
西川監督は毎日新聞のインタビュ
ーに「もう一度この小説を手に取
ってもらいたかった」と強い思い
を述べ、見る人に「生きる勇気を
つかみ取って」とメッセージを送
っている。「万引き家族」でカン
ヌ国際映画祭のパルム・ドールを
受賞した是枝裕和監督も高く評価
する西川監督はこの映画で早くも
シカゴ映画祭で2冠(観客賞、最
優秀演技賞)を得た。元受刑囚に
なりきった役所広司の演技が何よ
りこの映画に光彩と深い陰影をも
たらしている。1週間も経たない
のに、また見に行こうという気に
なっている。
【2021・2・22】
(写真は映画「すばらしき世界」
から)
