お元氣様です。
盛和塾の機関誌の第6号に、第4代天風会会長を務められた、杉山彦一氏の講演録が掲載されています。
その中で杉山氏は、働く意味について、つまり「職業観」について5つの職業観があるとのべておられます。
1番目は、「自己保存的職業観」です。
人間生きていれば、お腹が空きます。
空腹を満たすために何かを食べます。
要するに、自分自身の生命を確保するために働くということです。
杉山氏は、これはたいして褒められないと述べています。
ミミズでもゴキブリでもやっていることであって、生物一般の現象でしかありません。
2番目は、「種族保存的職業観」です。
自分の妻や子供のために頑張って働く、という働きです。
杉山氏は立派ではあるが、威張るほどのことでもないと述べています。
犬や猫でも自分の子供を産んできちんと育てているからです。
3番目は、「欲望満足的職業観」です。
欲求を満足させるために働く、という働きです。
例えば、医者になりたい、お店を持ちたい、車が欲しい、旅行に行きたいという欲求を満足させるということです。
犬や猫は、“車が欲しい”なんていいません。
4番目は「金銭欲求職業観」です。
いくら欲望を満足させようとしても、お金がないと物事は達成できません。
では、お金だけのために働いても本当の喜びは得ることができるのでしょうか。
お金が欲しいのは誰でもです。
例えば、自分だけが大金持ちになり、まわりの人は皆貧しかったらどうなのでしょうか。
5番目は「社会的職業観」です。
人間は、この世に存在する限り、99.99%以上は人様のご厄介になって生きています。
つまり、持ちつ持たれつ支え合いながら生きています。
みんながそれぞれの責務を果たしてこそ、社会はうまく機能します。
人は、この世に生まれてきて、生きている限り、何か一役を持たなければならない、というのが「社会的職業観」の意味です。
以前定年退職になった人が、満員電車に乗らなくていいのに、毎日電車に乗って公園で時間を潰して帰るという人がいるということが話題になりました。
人間の本当の喜びつまり魂の喜びは、仕事をして人の役に立てるということにあるのではないでしょうか。
ただ、この喜びに至るまではある程度の人生経験が必要かもしれませんが。