凡人には見えないものが見通せる経営者 | 【大阪市 平野区】山岡建設社長の幸福共創物語~みずから明るい未来へ~

【大阪市 平野区】山岡建設社長の幸福共創物語~みずから明るい未来へ~

創業大正15年、会社設立昭和30年。大阪市平野区で水道工事業をメインに土木、リフォームと事業を広げています。代表の山岡建設社長が、ジャズやロックなどの音楽の話や下手なゴルフの話とほんのすこし仕事話を通じて日々歩み続ける物語です。

お元氣様です。

凡人には見えませんが、天才的な人には見えるということがあります。

ソフトバンクの孫正義氏は、1973年16才の時に、日本マクドナルド創業者の藤田田氏と面会します。

その時に藤田氏から言われた言葉が、

“これからはコンピュータビジネスの時代だ。オレがおまえの年齢だったら、コンピュータをやる”

その3年後、1976年19才の時、雑誌でインテルの小さなマイコンチップの写真を見て、その姿と将来性に惚れ込みました。

3年前に言われた藤田さんのアドバイスとも一致し、コンピューター業界で勝負すると志を立てたのだと思います。

その後の活躍は、皆さんがご存じの通りです。


松下幸之助氏は15歳の時、大阪市内に路面電車が走っているのを見て、「これからは電気の時代だ。人力の自転車はもう古い」と思います。

そして当時勤めていた自転車屋を辞め、知人を頼り大阪電燈(現関西電力)に就職します。

そこで、3年ぐらいの間にすべての仕事を覚えました。

1918年(大正7年)松下幸之助氏は大阪電燈(現関西電力)を退職し、松下電器器具製作所を創業します。

それが今日のパナソニックの原点になります。


京セラの実質的創業者である稲盛和夫氏は、1984年(昭和59年)第2電電を創業します。

そして携帯電話が今日のように普及するということをすでに予見していました。

また、携帯電話の月々の料金がどれぐらいになるのかということを、役員会で発言していました。

それを当時の役員が、メモにしていたそうです。

そのメモを後年見たら、モノの見事に予見した通りの料金になっていたそうです。

それが今日のAUです。


なぜこのように未来が見えるのだろうか?

稲盛和夫氏は次のような言葉を残しています。


今日一日一生懸命に生きれば、明日は自然に見えてくる。
明日を一生懸命に生きれば、一週間が見えてくる。
今月一生懸命に生きれば、来月が見えてくる。
今年一生懸命に生きれば来年が見えてくる。
その瞬間瞬間を全力で生きることが大切なんだ。


この言葉に尽きるのでしょうね。