お元氣様です。
PHP総合研究所の「研究レポート 通巻11号」1997年7月に『松下幸之助の人間観、自然・宇宙観と経営理念』と題した論文があります。
その中で、“共存共栄”について論じられた文章があります。
“共存共栄”という一般的なイメージはお互いが合い助けあって栄えていくようなイメージが一般的かと思います。
松下幸之助氏は、“共存共栄”についてそのような概念をもっていなかったようです。
論文の中では以下のように書かれています。
松下は、仕入れ先や取引先の販売会社、販売店、それから同業者、さらには需要家、消費者などの人たちと、それぞれ共存共栄していくことを願いながら経営を進めていた。
もっとも、この場合の共存共栄は、競争を排するということではない。
競争については、松下は、非常に大事なもの、必要なものとみていた。
お互いの間に競争があればこそ、進歩発展がもたらされるというのである。
ただ、ルール無視の過当競争は、当の企業はもちろん、消費者を含めたすべての人のプラスにならないから決してすべきでない、あくまでも適正な範囲の競争を大いにして、共に栄えていけるような競争のあり方をめざしていこうということである。
この“共存共栄”の考え方は、すべてのものは対立しつつ調和するところに秩序ある生成発展が生まれるという宇宙観、自然観がその根底にあると考えられる。
“対立しつつ調和るる”という宇宙観ってなかなか持ちえないですよね。
単に対立しているだけかというとそうではなく、対立した形においてそこに調和を保っています。
この世の中は、
『男と女』
『プラスとマイナス』
『N極とS極』
『陽電子と陰電子』
『光と影』『善と悪』
『個人主義と全体主義』などなど一見対立しているように見えますが、全体的な視野で見ますと調和がとれています。
対立だけでは混乱が生じますし、調和だけでは発展しません。
対立しつつ調和するところに生成発展が生まれ、対立と調和が自然の理法であり、社会のあるべき姿だと松下幸之助氏は考えていたのだと思います。
この考え方が理解できないと、“共存共栄”という言葉の誤解を招き、仕事の上において下請根性丸出しの企業体質になっていく可能性が十分に考えられます。
宇宙的視野に立って経営の在り方を考えてみると、見えないものが見えてくるかもしれません。