「え、ポッドキャストってなんですか?」
と彼女は言った。目がキラキラしてた。その眩しさに少し目眩がして、フラフラする。ああ、自分はオジサンになったんだなぁ、と思った。でも、自分から「ポッドキャストって知ってますか?」と聞いてしまった手前、ここはちゃんと答えなくちゃならない。私は、むき出しにした白目を元に戻し、かぶりを振る。
「なんかね、誰でも配信できるラジオ、みたいなやつです」
「あー、よく名前は聞くんですけど、聴いたことないんですよ」
彼女の声から関心が薄れる音がした。私の背筋に微かな緊張が流れる。
「スマホ、iPhoneですか?」
「あ、はい」
「じゃあ、たぶん、最初からポッドキャストっていうアプリ入ってますよ」
「えっ」
彼女の声が跳ねる。そして、すぐにスマホを開き、指先が軽やかに画面をタップする。「これですか」と画面をこちらへ向けてきた。その画面の背後から、彼女のキラキラが差し込んでくる。ああ、まぶしい。私は目を細めながら「そうそう」と言う。
「《コテンラジオ》っていう番組があって、ボクはそのポッドキャストを聴くようになってから歴史が好きになったんですよ」
「へぇ! いいですね!」
「世界史が好きなら、ハマると思いますよ」
「コテンラジオ……、あ、ほんとだ。すごい。いっぱいエピソードありますね」
そう言いながらこちらに向けた瞳がいっそう輝いた。星がまたたくような、キラキラだった。毎日、顔を洗うときに見る自分の眼とは何もかも違う。なんの差なのか。単なる年齢の問題なのか。それとも、もっともっと本質的な、世界の捉え方の問題なのか。分からない。
彼女を眺めていると、不意に自分をミジメに思うような劣等感が湧いてくる。だったら、そもそも話しかけなければいい。最初からコミュニケーションなんて取らなければ、面倒な感情に振り回されなくて済むのだから。そっちの方がラクだ。
でも。
「世界史の中で、特に好きな時代とかあるんですか?」
「いろいろあるんですけど、中世ヨーロッパが好きなんです!」
「へえ!」
彼女が放つキラキラを浴びるていると、自然と自分の口角が上がっているのだ。つられてしまう、というか。感情移入してしまう、というか。映画の主人公に自分を重ね、泣いたり笑ったりする感覚と近いのかもしれない。それが快感となって、自分の体を流れていくことに、私は夢中になっていた。
だから、つい「中世ヨーロッパって、フランス革命とか、そのへん?」と質問を投げかけてしまう。彼女と話していると、自分の中のなにかが変わるような気がして。
「あはは、ちがいますよぉ! もっと前です。んー。なんだろ。十字軍とか」
「じゅ、十字軍?」
「はい。あ、こういうこと言うと引かれちゃうから、言わないようにしてるんですけど」
一瞬だけキラキラが、かげった。その「かげり」には、キラキラを際立たせるほど深いものがあった。
その時、なんだかよく分からない納得感が、私の胸の中に落ちてきた。まさに夜空に浮かぶ星なんだと思った。暗ければ暗いほど星が美しく見えるのと同じで、彼女の中には音まで飲み込むような暗闇がある。だから、こんなにキラキラしてるんだ……。
私は、彼女の言葉を肯定も否定もしなかった。そして、まるで何も聞こえなかったかのように「たしか十字軍の回、コテンラジオにありましたよ」と言った。その暗闇を、拭き取ってはいけないような気がしたから。
「え、本当ですか……! あ、ほんとだ。サラディンと十字軍……。あ、でも、これ結構たっぷり時間あるんですね」
「そうなんですよ。一つのエピソードが30分くらいありますからね。でも、ぜひ、聴いてほしい。感動するというか。歴史すげー、ってなって。本当に歴史が好きになって、勉強するようになりました」
「へー! ちょっと時間ある時とかに聴いてみます。ありがとうございます」
最後に彼女は、また強いキラキラを放った。でも、今度は眩しいとは思わなかった。本物の星を見ているような体感として、綺麗だな、と思った。
時間にして5分。とても短い世間話だった。でも、その5分、たったの5分がキッカケに人生が変わったり、自分の気持ちがカラッと明るくなったりする。
彼女には言えなかったけど、私は人の心が自分から離れていくことを極度に恐れている。私の方こそ「言わないようにしてる」ことが多いのだ。
本の話だってそう。
ポッドキャストの話だってそう。
もし、この話をして相手が否定的なリアクションをとったら、はたまた無関心だったら……。まるで自分を否定されたり、「お前には興味ないから」と言われているような気になってしまう。それが好きなモノの話になったら尚更だ。そのモノをまるで自分と同化するように考えてしまうんだから、話せるワケがない。
勝手な被害妄想であるし、とんでもない自意識過剰であることは分かっている。でも、だからこそ、なるべく自分の興味関心や、自分についての話を言わないようにしているのだ。基本的には質問するばかり。
そんな自分が、ほんのわずかな時間だけだけど、解放できた気がした。この人とは共有できるな、と直感的に思ったから。そして、案の定、彼女のエネルギーに感化される自分がいた。濁った眼が、澄んでいくような、浄化されるような気になった。帰り道、私はポッドキャストを開いていた。
別に私と彼女の間に特別な関係はない。だって彼女は、その日、仕事で出会った人、なんだから。はじめまして、の関係だった。仲間とすら呼べない。クリアファイルくらいの透明度の関係性だ。もう二度と会うことはない可能性だってある。
でも、あの会話をした瞬間、私は彼女と「友達」になれたと思った。
ポッドキャストの話を通じて。
好きなモノの話ができたことを通じて。
たったそれだけで、心がぽわんと温まるような感じがした。
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青山美智子さんの「月の立つ林で」を読んだ。連作短編集である本作のキーワードの一つには、〈ポッドキャスト〉があった。番組では、月の話、宇宙の話がたくさん出てくる。
本を読んでいるはずなのに、いつの間にか耳元では、パーソナリティの声がして、その悠久世界の話にうっとりしている自分がいた。「意外と自分って宇宙とか、そういう話が好きなんだな」と思った。リスナーとして、ネ。
そして、パーソナリティの話は、私だけでなく本作の登場人物たちにも些細なキッカケを与えていく。
同じ番組を視聴し、同じ月、同じ空を見上げる私たち。私たちは、1人で生きているようで、見えない根っこで繋がっている。そんなことを思った。
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ちなみに、本作はNHK-FMで、ラジオドラマ化される。
青春アドベンチャー「月の立つ林で」という番組だ。
【NHK-FM】
2024年7月22日(月)~7月26日(金)
午後9時30分~午後9時45分(1-5回)
2024年7月29日(月)~8月2日(金)
午後9時30分~午後9時45分(6-10回)
私も参加させていただいている。
おいおい、宣伝かよ。
ええ、宣伝です!
ポッドキャストにまつわる話をラジオドラマ化するなんて、なんてオツでイキな企画だろうかと、胸を躍らせながら収録していた。
そう、収録はすでに終わっている。
とても楽しかった。
ぜひ、聴いていただきたい。