「お願いしたいのは、落語研究会の部長の役なのですが」

 

そんなメールが届いたのはいつだっただろうか。男はパソコンの光を浴びながら、瞳孔が開いていくのを感じていた。カフェインを摂った時のように頭が冴えていく。

 

「伝統芸能かぁ……」

 

男は小さく呟いた。伝統芸能と聞くと、頭の中で「古典」の文字が浮かんでしまう。

 

――今は昔、竹取の翁ありけり。

 

あの古典だ。学校で習うやつ。

 

――ようよう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 

ああ、ヤダヤダ!

同じ日本語のはずなのに、サッパリ分からない!

これだから古典ってやつは!

 

と敬遠してきた、あの古典。テストでも赤点ギリギリだった、忌まわしき古典。そんな古典に――伝統芸能に立ち向かうのか!

 

気付けば男は、ゲームの世界に迷い込んだような面持ちになっていた。今はレベルが足りていないのに、ボス戦を迎えようとしているようなもの。

 

こっちの武器は、ひのきの棒しかない。防具は木の盾に、布の服。ほぼ丸裸状態だ。絶対ムリだよな、敵は強いよなぁ。ミルドラース級の強さかもしれないよなぁ。でもなぁ、闘ってみないと分からないし。……ぶつかってみるか!

 

ドラクエの主人公気分になると、弱気な感情も最後には消える。むしろ手強い敵が現れたときほど燃えるものだ。

 

男は落語について何も知らなかったし、古典に対してアレルギーを持っていたが、「がんばります! ありがとうございます!」と威勢よく返事を送った。

 

 

男はすぐにレンタルショップへ駆け込んだ。孫子の兵法でも言われている。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」だ。意味は分からない。たぶん「まずは敵を知ろう!」ということだろう。ああ、これも古典だ。古典が付きまとう!

 

頭の中でグチャグチャ騒ぐ自分の声をなんとか押し殺しながら、男はレンタルショップのGDの棚を探し回った。

 

「落語、らくご、ラクゴ……」

 

音楽の棚を飛ばし、民謡・伝統の棚にたどり着いた時、ようやく目当てのCDたちと顔を合わせることができた。

 

桂米朝、桂枝雀、古今亭志ん生、古今亭志ん朝、立川談志、立川志の輔、立川談春……。

 

あるわ、あるわ、山ほどある。

誰の落語から入ればいいか分からなかった男は、過去に共演した友人が「立川談春さんがおすすめ!」と言っていたことを思い出し、立川談春「紺屋高尾・明烏」のCDをレンタルすることにした。

 

「ダンシュン・タテカワ。こうやたかお、あけがらす。ダンシュン・タテカワ。こうやたかお、あけがらす」

 

男は初期設定が終わったばかりのロボットみたいに、同じ言葉を何度も呟きながら、家まで駆けた。

 

まずは敵を知ることだ。

 

男は緊張の面持ちで、立川談春の落語CDをパソコンに食べさせた。ジャケット写真を見つめていると、ボス戦を控えているような心持ちになる。いや、談春師匠は敵ではない。もちろん、ボスでもない。なのに、胸がドキドキする。男の頭は完全にこんがらがっていた。

 

ぶうーんと、パソコンがうなる。一生懸命取り込んでくれているのだろう。ありがとう。ボクも一生懸命聞くからね!

 

そして、紺屋高尾を再生した。

 

トントコトントントン、ドン。

テンテケテンテン、テンテケテンテン。

ピーヒャララ。

 

「えー、いっぱいのお運びでありがたく存じます」

 

そこから約1時間、男は噺に浸った。

 

 

 

 

 

 

 

 どぼーん。

 沼に落ちる音がした。

 もう足を抜くことができなかった。

 

興奮が止まらなかった。男は誰もいない部屋で一人、大きな拍手をしていた。こんな経験は初めてだった。そして慌ててネットで検索をかける。ほう、談春師匠は本も出しているらしい。こりゃ買うっきゃない!

 

再び男は街へ駆け出した。見つけた。レンタルショップにも立ち寄った。立川談春のCDを片っ端からレンタルした。

 

もう男の頭の中に「伝統芸能だ、古典だ」なんて言葉はスッポリ消えていた。

 

 

そんな折に、友人から「寄席行ってみない?」という誘いを受けた。以前、落語の話をしてくれた、あの友人からだ。

 

類は友を呼ぶ。

 

そんな言葉が浮かんでしまう。男は鳥肌が立つ思いで「行く!!!!!!!!!!」とウザいくらいのビックリマークをつけて返信した。

 

これが決定打になった気がする。人生初の上野・鈴本演芸場。目の当たりにした落語家たちの口演に、雷が落ちたような衝撃を受けた。男は頭のてっぺんまで、沼に浸かることになったのだ。

 

 

数年後、男のスマホが久々に鳴った。

 

「わたし本出した!」

 

あの友人からの連絡だった。

友人は作家になったのだ!

 

男は、あまりの衝撃にスマホを投げそうになったが、気を落ち着かせて祝福の返信をする。そして、すぐさま本を購入。息をつく間も無く、一気に最後のページまでめくっていた。

 

それは、落語への愛を叫ぶような本だった。落語との出会いを通じて見つけた「しあわせ」の数々が書かれていた。

 

男は落語と出会った日のことを思い出しながら読んでいた。そもそも仕事の延長だったはずなのに、落語は明らかにその範囲からハミ出ていた。

 

寄席に通うようになり、落語家さんの友人もでき、ときどき落語を教わるようにもなっていた。

 

芝居とは1ミリも関係ない。趣味とも違う感覚だ。これは、もはやファンだ。落語ファン!

 

男は落語に魅せられたのだ。

それもこれも、すべては友人の落語愛に触れたから。

 

 

男は本を閉じて、大きく息を吐いた。友人からの「しあわせ」のお裾分けは、きっと本を通じて全国の読者にも届くのだろうと確信する。そうして、落語愛はどこまでも広がっていくはずだ。

 

男はイヤホンを耳に突っ込み、スマホにインストールされた「紺屋高尾」をタップした。もちろん立川談春師匠の音源だ。出囃子が鳴る。拍手が響き、談春師匠の声が聞こえてきた――。

 

 そうそう、これだこれだ。

 男はゆっくり目を閉じる。

 

南沢奈央さんの「今日も寄席に行きたくなって」を読み、幸福な気持ちで満たされた。