ウィリアム・ゴールディング『蠅の王』(新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

 『蠅の王』についての読書感想文を書いていた。

 「読書感想文って、むずかしいなあ」と、ボソボソ呟きながら書いていた。

 

 

 自分の中で、あらすじには触れない、というルールを作った。書評でもなければ、紹介文でもないんだから。あくまでもぼくが読んだ感想を素直に書けばいい。著者にコビを売る必要はないし、誰かに気に入られようなんて思わなくていい。

 

 

「ぼくにしか書けないものを書こう!」

 

 

 そう意気込んだはいいものの、どういうわけだか手が動かない。いや、実際には少し動いた。

 

 

 「本を閉じたとき、心臓がバクバクした・・・」という一文から書き出した。でも、書いてるうちにカッコつけてるような気分になって、全部を消した。もう一度、ゼロから書き始める。

 

 

 今度は「学ランを着ていたのは中学までだった・・・」という、本から少し離れたテーマで書き出してみた。でも、話が離れすぎたのか、書けば書くほど本の感想とは結びつかない。

 

 

 大きめの学ランに少しずつ体が追いついていく当時の心境を書いていた。イミフメイだった。そして、また「読書感想文って、むずかしいんだなあ」と呟き、全部を消した。

 

 

 気付けば、ぼくは本屋さんに立っていた。

 

 

 夏休みが迫ってきていることを実感した。書棚を眺めていると、課題図書コーナーという文字が目に入ってきた。自然と足が向かっていく。そこには読書感想文におすすめの本たちがズラリと並んでいた。読んだことのあるものは一冊もなかった。

 

 

 こういうとき、ぼくは自分の読書歴の浅さに打ちのめされる。今でこそ読書をするようになかったが、それは、たかだか5~6年の話なのだ。課題図書たちを見ていると、妙な劣等感におそわれた。20年前にタイムスリップができたらなあ、とため息を吐いてしまう。

 

 

 すぐ横を見ると児童書コーナーがあり、そこに二人の子どもがいた。小さな男の子と、彼よりも背の高い女の子。おそらく姉弟だと思う。

 

 

 平積みされた本の前には小さな椅子が一つあり、弟の方が椅子に座っていた。お姉ちゃんは、弟の横で床にぺたりと正座をしている。きっとお姉ちゃんが席をゆずってあげたのだろう。隣同士に座った二人は、それぞれ別の本を読みふけっていた。

 

 

 行儀がいいのか悪いのか、ぼくには分からない。いや、たぶん、悪い。でも、ぼくが本を読む子ではなかったこともあり、お行儀よりも読書をしていることに対する尊敬の念の方が強かった。

 

 

 ぼくは彼らを見ながら「こんな小さい頃から本に触れているなんてスゴイよ! しかも、今はスマホもゲームもある。これだけ誘惑にあふれた世界なのに、わざわざ本を選んでいるんだから。キミたちの将来は明るい! 出世すること間違いなし! アッパレ!」という、ゆがんだ読書信仰心にかられていた。ぼくの読書に対する劣等感は、こんなカタチで現れる。

 

 

 再び課題図書コーナーに目を戻すと、『スラスラ書ける読書感想文 小学5・6年生』という本を見つけた。これだ。ぼくは、この本を求めて書店に来たことを思い出した。

 

 

 さっそく、ページを開いてみる。ふむふむ。どうやら感想文には書くコツがあるらしい。本の選び方、読むときのポイントなどが分かりやすく書かれている。

 

 

 本を読んでいる途中、気になった箇所にふせんを貼って自分の気持ちを書き残すといいらしい。そのふせんを並べていくだけで感想文の骨格はできあがるんだとか。なるほど、なるほど。勉強になる。

 

 

 これは偶然かもしれないが、ぼくは普段から本を読むときに似たようなことをやっている。

 

 

 ぼくの場合、ふせんは貼らない。ページの角を折っていくだけだ。折った箇所を読み返して、本を振り返っているのだが、《ふせん法》と同じ要領でまとめていけば、簡単に読書感想文が書けるかもしれない!

 

 

 胸にあたたかいものを感じながら、ぼくは静かに本を閉じた。書店員さんの顔色をうかがってみるが、こちらを気に留めている気配はない。ぼくは手元にある本に会釈をしてから、そっと本を棚に戻した。

 

 

 手の垢はついてしまったかもしれない。でも本を目一杯広げることはなかったし、ページをめくるときも、本を傷つけないように丁寧にめくった。だから、大丈夫。だから、大丈夫。

 

 

 立ち読みをする自分を否定しないように、自分に呪文をかける。そして、書店を飛び出し、家へ向かった。

 

 

 折ったページを確認しながら、「ジャックが顔に粘土を塗りたくったとき、『ああ、彼は俳優なんだ』と思った・・・」と、感想文を書き始める。すると手が勝手に動いていくような感覚があった。

 

 

 「本当にスラスラ書けるではないか! すごい、すごすぎる!」と興奮する気持ちを抑えられなかった。小学5・6年生向けの本であったことは、スッカリ頭から消えていた。裏技でも使うような気持ちで、折った箇所を振り返っていく。

 

 

「どうして、このページを折ったのか?」

 

 

 その疑問に答えていく。

 そして、頭で整理してから、書く。

 作業はたったこれだけだ。

 

 

 すると、どうやらぼくは『蠅の王』を俳優という仕事と結びつけながら読んでいることがわかってきた。

 

 

 人は常に何者かを演じている。友達といるときの自分。家族といるときの自分。恋人といるときの自分。どれも自分ではあるけれど、どこかで演じ分けている自分がいる。

 

 

 大人になるほど演じ分けは上手くなってくるが、『蠅の王』に出てくる子どもたちにはまだそれができない。もし、彼らが状況に合わせて自分を演じ分けることができたなら、悲劇は訪れなかったのではないだろうか・・・。

 

 

 なんてことを何時間もかけて書いていく。書いていて、大人びた文章だなあ、と我ながら感心していた。そうして、感想文を書き上げた。たしか、3100文字くらいだったと思う。原稿用紙で換算すると、8枚にものぼる。人生で初めて書いた読書感想文のわりには、ずいぶん長い文章だった。

 

 

 それから数日間は、推敲とでもいうのだろうか。できた文章を何度も読み返す時間を過ごした。

 

 

 文章のつながりがおかしいなあ、とか。かたっくるしい文章になっちゃったなあ、などとブツブツぼやきながら、切ったり貼ったりの作業を繰り返す。

 

 

 読書感想文を書いているはずなのに、図工でもやってるような気分になった。彫刻刀を使ったり、ヤスリを使ったり、ボンドをつけて乾くのを待ったり。そうして、ようやく読書感想文は完成した。

 

 

 「読書感想文って、むずかしいなあ」というのが、完成したあとの感想だった。スラスラ書けた気になっていたが、けっきょく凄い時間が経っていた。

 

 

 これはたしかに夏休みいっぱいかかってしまう課題だと思った。こんな難題をクリアできる子どもがいるなんて。信じられなかった。

 

 

 もしかしたら、読書感想文というものは、書いた内容よりも、課題とどう向き合ったのかが大事なのかもしれない。本と向き合い、自分と向き合うことができたのか。それが文章に現れるのだと思う。

 

 

 そう考えると、読書感想文は、やっぱり大切な課題だったんだと思った。1ページも読まず、あらすじを書き写していた自分を殴りたい。いや、でも、そのおかげで、今、こうして読書感想文と本気で向き合えることになったのだから、デコピンくらいにしておこう。

 

 

 なにはともあれ、ぼくは晴れやかな気分でサウナに向かった。これはご褒美でもある。いい汗がかけると思った。

 

 

 だが、ここで気を抜かないのがキナリの凄いところだ。

 

 

 サウナに向かう間は、最後の推敲タイムに充てる。スマホの「読み上げ機能」を使い、歩きながら自分の書いた感想文を聞き流すのだ。読んでいるのと音で聴くのでは違った印象をうける。

 

 

 ぼくは新たな発見を期待しながら聴いていた。ゆっくり読み上げてもらったため、時間にして約10分。

 

 

 よし。脱字はなさそうだし、内容も満足のいくものだった。発見はなかったが、達成感はあった。これで家に帰ってブログにアップすれば、ミッションクリアだ!

 

 

 サウナではいい汗がかけた。全身から汗が吹き出し、水風呂に入ると音を立てるように毛穴がキュッとしまっていく。心臓のポンプが激しく動き、全身に血を送り出すのがわかるようだった。

 

 

 気持ちいい。最高だ。頭の中に浮かんでいるゴミまでも流されていく。リセットされるような気持ちになって、「次はなんの本を読もうかな」なんてウキウキな気持ちになっていた。

 

 

 爽快感を家に持ち帰り、ブログをアップしようと原稿ファイルを開いてみる。すると、違和感を覚えた。スクロールができない。文字数が「1059」と表示されている。

 

 

 なにかがおかしい。3100字くらい書いたはずだ。何度も何度も読み返して、ようやく書き上げた原稿だった。サウナもすごく気持ちよかった。でも、消えていた。

 

 

 原稿の大部分が、消えていたのだ。

 

 

 しかし、さすがのサウナ帰りだ。頭が冴えている。クラウドがある。バックアップがとれているに決まってる。ぼくはスマホを叩くようにしてネットサーフィンをした。「pages データ 復旧」で検索。そして、出てきた記事の通りに操作をしてみた。でも、ダメだった。

 

 

 原稿は、元には戻らなかった。

 

 

 『蠅の王』の感想文を書いたけど、消えてしまった。

 読んだはずなのに。書いたはずなのに。消えてしまった。

 それを証明する方法がどこにもなくなった。

 

 

 やっぱり、こう結ぶしかない。

 

 

 読書感想文って、むずかしい!