(引き続きタイの後追い記事/前回より続く)

ナコーンパトムのプラ・パトム・チェディ国立博物館の展示物を幾つかと、小さな遺跡を紹介します。

ナコーンパトムのドバーラバティー時代の出土品として特に重要なのは法輪(ダルマチャクラ)です。

もちろんコインコレクターとしては、ナコーンパトムはドバーラバティーコインの主要な出土地のひとつですが、同じ円形と言っても、やはり、法輪の方が普通の人にとっては目に留まりやすいですよね。



ドバーラバティーの他の都市、例えば、ウートーンやシテープでも法輪は出土しますが、ナコーンパトムのものが圧倒的多数です。


デザインや大きさはまちまちですが、インド・グプタ様式に非常に近いとの事です。






背の高い柱の上に取り付けられる場合もあります。



柱は3m以上ありそうです。





法輪下部にガジャーラクシュミ(両側の象から水を浴びるラクシュミ神/古代インドコインや彫刻にも使用されるモチーフ)のあるタイプ




ガジャーラクシュミのモチーフのインドスキタイコイン:











法輪は7〜11世紀頃(説明文は仏暦で記載されて分かり難いので、タイ語の説明は仏暦で良いのですが、英語の説明は西暦表記して欲しかった)。






法輪は、初転法輪(釈迦がサルナートの鹿野苑で行った最初の説教)や仏教の教義の象徴で、古くはマウリヤ朝アショカ王がインド亜大陸各地に建立したアショカピラーや現代のインド国旗にも使用されています。


アショカピラー(サルナート)


インド国旗



ナコーンパトムで法輪が多数出土する理由は、ナコーンパトムがドバーラバティー世界の宗教的な中心地であったからだと考えられます。


尚、バンコク国立博物館にもナコーンパトム出土の法輪が多数展示されていましたが、バンコクの方は鹿の石像を前面に配置して、法輪はサルナートの鹿野苑での初転法輪のシンボルである事を分かりやすく表現していましたが、ナコーンパトムには残念ながら鹿石彫は小さなものしかありませんでした。(鹿もナコーンシタマラートコインや極レアのドバーラバティーコインのモチーフとして登場するので気になります。)


鹿(又は麒麟)のモチーフのナコーンシタマラートコイン:




鹿のモチーフのナコーンパトム発行と思われるコイン:


(出典:Mitchiner SEA 616-7)




石に浅く掘られた象と縁起物のシンボル、プルナカラーシャ壺、法螺貝、法輪、五光星。(ここにもピューやドバーラバティーコインのでシンボルと同じものが登場していますね。)




法螺貝のモチーフのペグー銀貨:



法輪のモチーフのハリン発行と思われるピュー銀貨:



仏像は比較的少ない。


時期的には法輪が7〜11世紀頃、仏像は8〜11世紀頃となっていて、殆ど同じですが、法輪が時期的に仏像よりやや早く、しかもより重視されていたのかもしれません。












これは、太陽神ヘリオスに乗る仏陀像。ヘリオスはどちらかというと北西インドやペルシャ方面で良く見られるので、これは面白いコンビネーションです。





プルナカラーシャ壺。ドバーラバティーやシュリビジャヤコインでお馴染みのモチーフですね。





プルナカラーシャ壺のモチーフのシュリビジャヤコイン:



余談:


ドバーラバティーの主要な宗教は上座部仏教(南伝仏教/テーラワーダ仏教)でスリランカからミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア等に伝わったものですが、仏教美術的には大乗仏教(北伝仏教/マハーヤーナ仏教)的な要素も混ざっているそうです。


更に、仏教に加えてヒンズー教のシヴァ派とヴィシュヌ派の神像も出土し、仏教が広く社会規範として受け入れられていると共に支配階級の儀礼にはヒンズー教が採用されていたと考えられ、現在のタイに見られる仏教とヒンズー教が混ざり合ったような宗教感に受け継がれています。


ヒンズー神像は、シテープやシャム湾東部の遺跡での出例が多い気がします。(現地に行って確認したいですが。)


同じ地域でも都市によって微妙に傾向が異なります。



展示物の続きです。


古代環濠都市内にあった「チューラ・プラトン・チェディ」の基壇を装飾していたストッコ:









このあと3枚は仏伝のシーンを描写










これらのストッコ画は、バンコク国立博物館にあったラチャブリ県クーブア遺跡のものと非常に似ています。ナコーンパトムの南西隣りなので地理的に近いですから。


期待していたナコーンパトム出土コインの展示はありませんでした。希少なので民間コレクターしか所有していないものが多いからなのかも知れません。



博物館の外にも、仏塔の先端や、シヴァ神のシンボルのリンガを祀ったと思われる基壇等が放置(展示)してあります。






博物館の展示説明文で、古代ナコーンパトム環濠都市内や周辺にドバーラバティー時代の遺跡がある事が分かりましたが、足がない!






プラ・パトム・チェディは立派ですが、修復・増築の結果、ドバーラバティーとはかけ離れたものに成り果てているので、又、古い遺跡の風情が全くないので物足りないのです。


しかも、ここはドバーラバティー時代の環濠都市の全く外側なので、来る時に通ったとは言いながら、やはり環濠都市遺跡の風情を味わいたいということで、


バンコクへの帰り道に寄れそうな遺跡をグラブの地図でトライすると、プラ・プラトン・チェディに行き先指定ができ、しかも車が見つかりました。


本当にトラックや車がたくさん通る大きな通りに面する比較的大きな寺院でした。


プラ・プラトン・チェディ




意外に大きな仏塔の基壇。上方の白い部分は後代の増築でしょう。




こんな所に観光客は絶対来ません。しかし、おかしな外国人(日本人)がウロウロするので、お寺によく来ると言うおじさんが声をかけてきて、なんと仏塔に登らせてくれました。






ここは間違いなく環濠都市の中心。



地図上では近くに南北に走る運河があるので見に行きました。



運河は殆ど埋もれていましたが、それを示す看板がありました。


ここも絶対観光客来ない場所。家族がこんなつまらないものを見に来るとはと呆れ果てていましたが、個人的には大満足!(本当は他の遺跡も行きたかったですが。)


この後、無事にグラブを手配できバンコクに戻る事ができました。


(続く)











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