宋の話⑤
そういったわけで、宋の太祖・趙匡胤は、自分の国を文官中心の国、
別の言い方をするなら武官・軍人に大きな権力を持たせない国として
構想していきました。
代表的なエピソードが次の話です。
太祖は即位してまもなくすると、(それまでの王朝の始祖がそうであった
のと同じように)自分の帝国をどうやって安定させるかを考えていました。
もともとは後周の朝廷に仕えた武将どうしですから、その中の最大の
実力者だったとはいえ、主君と家臣の間柄は、「元同僚」なわけです。
「あいつが皇帝になれたのならオレがなれないという法はないわい」
と考える将軍が出てきても不思議ではありません。
悩んだ彼は宰相の趙普の献策に従い、ある仕掛けを実行します。
・・・ある日、太祖はかつての同僚で今は臣下として仕えている実力者の
将軍たちを慰労する酒宴を張った。
席上、太祖は以下のような話題を持ちかけた。
「朕が帝位についたのは皆のおかげだ。
感謝しているが、皇帝になってから枕を高くして寝たことがない。」
「どういうことですか?」
「卿らの誰もが皇帝になりたがるだろう。」
「とんでもない。天命既に定まり、誰がそのような不遜な真似を
企みましょう。」
「いやいやそうは言えぬ。
もし卿らの部下が勝手に黄色の上着を着せて迫ったら、諸君は
どうするね?」
「恐れ入ります。
いったい私どもはどうすれば無事でいられるのでしょうか?」
(※注釈:太祖と臣下が猜疑し合い、反乱と粛清の負の連鎖が
起きることを恐れての発言と思われる。)
「開封(首都)に豪勢な邸宅を建てて、恩寵金も出そう。
安楽な余生を送る代わりに軍事指揮権を手放すというのはどうかね。」
こうして将軍たちはその職を解かれ、その軍勢はすべて禁軍(朝廷の
直轄軍)へ再編成され、安禄山以来の軍閥化の悪夢は解消した―。
この一件を、「杯酒釈兵権」、お酒を振る舞う代わりに兵権を取り上げた
として、中国では有名な故事だそうです。
なお、「中国の歴史07」ではこの逸話を紹介した上で、「実際の出来事を
記録したものだという保証はないが」と一言保留しています。
一夜の宴で、という部分は創作かも知れませんが、太祖が血を流すことなく
穏便に将軍たちの軍隊を召し上げたのは事実のようです。
現代風に言えば、手厚い年金を保証する代わりに早期退職を募集する
ようなものでしょうか。
各地方に軍隊を駐屯させた結果、彼らが軍閥化して皇帝(ないし中央政府)
のコントロールを受け付けなくなる、という事例は歴史上、枚挙にいとまが
ありません。(らしい。)
その意味で、趙匡胤は非常に賢明な統治者であったと言えます。
(前述の繰り返しになりますが、最高権力者にも関わらず、これを合意の上で
穏便に実施したのがすごい。)
次は、太祖の弟で二代目の皇帝となる趙匡義について触れていきます。
これがまたなかなかの男だったようです―。
(まだまだ続く)
【出典】
「中国皇帝歴代誌」(アン・パールダン著、創元社)
「中国の歴史07 中国思想と宗教の本流 宋朝」(小島毅著、講談社)