「私は忘れていない」には、隠された悲しみがあります。
現実には少なからぬ認知症の方が、「私は、もの忘れなんかない」、「病院なんかに、行く必要はない」と、言い張ります。
このように、家族をとても困らせてしまいます。
早く診断をして、「はっきりとした見通しをもって生活したい」、「本人を支えていきたい」とは、誰しもが願います。
家族にとっては、本人のこうした頑なな拒否反応ともいえる言動は、大きな困惑の元ともなりましょう。
しかし、その他の事柄については、本人は、まだまだ十分な理解力や判断力を持っています。
なのにどうして、自分の深刻な「もの忘れ」に対してだけ、不自然なほど目をつぶるのか、その理由を考えてみましょう。
このような人でも、たとえば、他の認知症の方の「もの忘れ」が尋常な状況でないということは、すぐに分かるようです。
つまり、「私は、忘れてなんかいない!」という主張は、「私が、認知症だなんて!」というやり場のない怒りや悲しみ、不安から出てしまいます。
自分の心を守るための「自衛反応」ともいえましょう。
周囲の方が、「認知症という病気になった人」の本当の心を理解することは、なかなか容易ではありません。
これは、「認知症の人の持つ悲しみの表現」であることを、先ずは知ってあげることが大切ではないでしょうか。
行政書士 平 野 達 夫
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