相続開始から、二人の兄弟にとっては葬式以来の再会です。

母親の遺産について話をするのは、今回が初めてです。


何故か、それぞれが妻を伴います。

「久しぶりだなぁ」「元気か!」などと、声を掛け合います。


そして、弟の第一声で始まりました。

「母の遺産の半分が欲しい!」と、一方的な要求が出ます。

間髪を入れず、兄が口を開きます。


「自分は母親を引き取り、長い間妻と一緒に面倒を看てきた。葬式だって、遺産の整理だって、自分がやった。これからは長男として、墓を守っていかなければならない。」

「お前が言うように、均等に遺産を分けるわけにはいかない。その辺のことを考えて、自分は実家の家のほか、預貯金と株の半分は欲しい。」と、兄が返します。


二人の兄弟のにこやかな様相は、あっという間に消え去ります。

早くも、争いの気配です。


しかし、この兄弟の相対する主張は、相続においては、よくあるケースと言えましょう。

すなわち兄の言い分は、旧来から残る家督相続的な発想と言えます。

「自分は長男として母親の面倒を看てきたし、家を守っていかねばならない。だからそれ相応の財産を承継する。」というものです。


一方の弟は、今日的な発想で、相続では、「兄弟全て平等」という考え方です。

そして、このようなケースで決まって出てくるのが次の言葉です。


「自分には、長い間母親の面倒を看てきたのだから、これに対して " 寄与分 "がある」との兄の言葉です。

「だけど、法律では兄弟の”法定相続分は平等”のはずだ」との弟の言い分です。


この「法定相続分」と「寄与分」は、分割協議の中では定番とも言えます。

これは、ともに民法に規定されています。

ただその使い方を誤りますと、話はまとまらず、協議は暗礁に乗り上げ、大変です。


しかし、当の本人たちは、無謀な主張をしているという意識は全くなく、法律に則った正論を述べていると受け止めているようです。


このままですと、協議は真っ向から対立し、解決は程遠くへ行ってしまいます。

是非とも、避けたいところですね。


     行政書士  平 野 達 夫

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